【13オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
良寛さんの気高さ表れる「手まりうた」
宗教学者 山折哲雄(5)
このごろ、良寛さんの「手まりうた」は子守唄ではないか、と思うようになった。
冬ごもり 春さり来れば 飯乞(いいこ)ふと
草の庵を 立ち出でて
里にい行けば たまぼこの
道の巷(ちまた)に 子供らが
今を春べと 手まりつく ひふみよいむな
汝がつけば 吾(あ)はうたひ
あがつけば なは歌ひ つきて歌ひて
霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも
冬が去って、春が来た。庵を出て、乞食(こつじき)をしよう。それが坊さんのつとめだ。けれども、里におりていくと、道端に子供たちが集まって遊んでいる。良寛さん、いっしょに遊んでくれや。そう誘われると、つい本業の乞食を後回しにして、手まりをついて、遊びほうけてしまう。情けない、と思いながら、ひいふうみいよ・・・と手まりをつき、歌をうたって、そのうち日が暮れてしまった。
乞食の仕事を放り出して、子供たちと遊びたわむれている姿がなかなかいい。けれども、日が暮れるまで子供たちと遊び続けているというのは、よくよく考えると容易なことではなかっただろう。
私などは、恐らく30分と持たない。それが1時間、2時間、3時間・・・と続いていって、ついに日が暮れてしまう。これはどう考えても、普通の人間のできることではない。この「手まりうた」のすごいところは、子供たちといつまでも遊び続ける良寛の姿勢にあるのではないだろうか。
けれども私の想像の翼がさらに広がり始めるのが、その先である。日が暮れる時刻になったとき、良寛はどうしたか。子供たちといっしょになって海の見えるところまで行ったのではないだろうか。海辺だったかもしれない。それとも、丘の上だったであろうか。
子供たちに囲まれ、故郷・越後の日本海のかなたに沈んでいく夕日を眺めている良寛の姿が見えるようだ。その瞬間を手に入れるために、日が暮れるまで子供たちと手まりをついて遊び続け、時間稼ぎをしていたのであろう。
子供たちの中には、親のない子もいたに違いない。その親のない子は、夕日の真ん中に親の面影を追い求めていたのではないだろうか。
霞立つ長き春日を子供らと
手まりつきつつ今日もくらしつ