【13オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
琵琶の響きににじむ修行の年輪
映画監督 諏訪淳(2)
ある日、気がつくと私は『田の神(かん)さあ』の前に立っていた。その年の十二月の太陽は、寒々としていたが、私はなぜか汗ばんで来るものを感じていた。
そこは、鹿児島県菱刈町の田んぼが一面に広がったあぜ道であった。田の豊作を願う守護神である石像『田の神』の姿が、田んぼのいたる処に鎮座する風景である。
通りかかった村人が珍しそうに私を見て「こんにちは何をしよっとな」と問いかけてきた。「盲僧」の家を訪れたい旨を伝えると、「あゝカトクさんのお家ですね」とすぐに答えた。この村人の言葉に現在でも盲僧がいかに人々に親しまれ尊敬されているかを私は感じとった。
盲僧は、目の見えないお坊さんで、鎌倉時代に島津藩の祈祷僧として薩摩に下向した「薩摩盲僧」の継承僧のことである。
盲僧を「カトクさん」と村人が尊称しているのは、歴代盲僧の忠節をたたえて薩摩地方三州の「総家督職」を藩侯から与えられたことに始まった。
檀家を回ってお経と琵琶で地神、荒神、水神、氏神などの屋敷内の神を祭り、家内安全を願うのである。
村人から教えられた通りに、あぜ道を歩き盲僧の家にたどり着いた・・・。私は琵琶の四弦を巧みに奏でる妙音と唱える地神経とが合体して周囲の空気が震動するなかに包まれた。
これこそ私が求めていた盲僧琵琶の響きであり、そこには盲僧・福貴島順海師の姿があった。
順海師との話が弾むなかで、『琵琶の釈(しゃく)』というお経は、特に琵琶の尊さを説いていることを語り始めた。
それは、盲僧が檀家に立ち寄ったとき、琵琶を持ち合わせていなかった。しかし、どうしても、琵琶を弾じなければ、その病が治らぬと言う。仕方なく障子に琵琶の絵を描いてお祈りをした。すると・・・
浄土より至福と言える風吹き来たって、障子に描きたる琵琶の絵を、ジンジンドロドロビンザラザラと弾きならせば、病もひきさまされ、心も開けたる候らん・・・
この釈の深い心情に突き動かされた順海師は、その思いから旋律をつけてわが子に子守唄として歌ったと熱っぽく語った。
旋律をつけて歌いながら、「浄土は仏がいる清らかな、きれいな国だよ」とか「至福とはこの上ない幸福なのだ」などと、子供が理解できなくても解説を入れながら、自身に納得させて歌ったという。
仏教での声明(しょうみょう)を考えれば、確かに子守唄として成り立つと思えるのだが、子守唄の替え歌にお経の文句を入れて子供に接する心は、祈祷僧としての長い修行の自信が成せる業だと思えた。しかし、大切なことは、健やかに子供が育つことへの祈りがあればよいのだと順海師は強調した。
この地を訪れたのは、現代人にとって祈りとは何かをテーマに『薩摩盲僧琵琶』の映画化を行うシナリオ作りの下見であった。