【17オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
故郷への愛着は各国共通
静岡県立大教授 高木桂蔵(2)
大学は東京に行った。卒業後、中国大陸に留学した。最初、北京にある大学に在学した。
当時は「文化大革命」の大混乱で、数千万人が殺され、被害に遭った人は一億人を超すといわれる。この「大災害」をパチパチ拍手した日本の“親中派”は、将来、記録として残しておく必要があると思い、ずっと資料を集めている。
混乱で香港に脱出し、香港中文大大学院に移った。あえて、農村地帯の現地人集落や、大陸からの難民アパートに住んだ。とくに独特の風習を持つ「客家(はつか)人」と交流した。
古い中国文化を残したこの人たちは、古い中国の唄を保存していた。彼らが主としてい居住している山間部でうたう唄は『客家山歌』といわれる。日本ではほとんど紹介されない。記憶している子守唄は次のものだ。
人生在世有双親
爺娘健在係福音
温馴言語行孝順
子孫相伝瀛万金
上帝大愛賜人間
児女可享父母恩
当行孝順敬真神
報答父母大温情
此条誡命若遵守
長命福気可得成
(人には両親があり、父母の健在はとても喜ばしいことだ。
親に優しく孝行すれば、子孫は幸福になれる。
神様は仁愛をくださり、親の恩を子供は受ける。
孝行して神様を大事にし、両親の恩に報いるなら、
命は長く福も得られる)
これを客家語で「ジンセン・ツァイシー・ユーソンチン。ヤ―ニョンケンツァイ ホーフーイム・・・」とうたう。
両親やお年寄りを大切にする中国人の気風はいささかも衰えておらず、われわれの忘れた大切なものが残っていると感服した。
もちろん、大陸各地にそれぞれの唄があり、その数は膨大なものだ。しかし、明治以降、アジアの唄の採譜は限られる。「国際化」といわれながら、まるで明治時代並みの認識だ。アジアには素晴らしい音楽がいっぱいあるのに西洋音楽を偏重した教育が問題だ。
大学院を修了し、教鞭を執った香港は、まさに「世界の観光地」。日本からもわんさか団体旅行客が来た。
その相手をして、華僑の商売のやり方を学んだ。それは帰国後に大きく役に立った。なにしろ当時、北京語が話せる日本人は少なく、まして広東語、客家語、台湾語といった南方中国語が話せる人はさらに少なかった。
香港は、大陸全土から共産主義の独裁体制を嫌悪して逃れた人々であふれていた。各地のさまざまな実情に触れることができた。
多くの子守唄を習い、覚えた。文化革命歌、紅衛兵歌も多数うたえる。今も在日華僑の人たちと会ったら、その郷土の唄をうたって喜ばれる。
みんな自分の出身地には強い愛着を持ち、唄だけでなく、文化に誇りを持っている。
中国語で郷土愛を「うちの田舎のお月さんが一番大きい」「愛不愛家郷酒」(うまくても、うまくなくても田舎の酒)というように表現する。
みんな故郷が好きなのだ。