【11オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
パリで涙した越路さんの「五木の子守唄」
シャンソン歌手 石井好子(2)
ねんねんよう おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
子守唄といえば『江戸の子守唄』が代表だと思い込んでいる。父が歌った子守唄は前回書かせていただいたが、母から聞いた子守唄はドイツ歌曲だった。
ねむれよいこ バラの花に
かこまれて 安らかに
(ブラームス 訳詩・門馬直樹)
眠れよい子よ 鳥も眠りて園も牧場も
外は静よ月はさやかに 窓をのぞくよ
(モーツァルト 訳詩・門馬直樹)
母は明治の生まれだから邦楽を習って育った。三味線が上手で年をとってからは清元や新内の稽古をしていたが、そのころは洋楽に凝っていた。姉と私には6歳からピアノを習わせた。
母の意気込みのせいか、姉も私も音楽学校へ進まねばならないと思い込んでレッスンを受けた。母は音楽好きだったし、それと同時に娘2人に独立できる何かを身につけさせたかった。「自立できなければ自由は得られない」という考えを持っていた。
ピアノのレッスンが終わったあと、母はピアノの先生の伴奏で歌を習うこともあった。私はピアノのある応接間の窓から流れてくる母の歌声を庭のブランコに座りながらいつも聞いていた。
子守唄をはじめ、トスティやドリゴのセレナーデ、美しいメロディーを聴きながら、大人になったら、私もあのような歌が歌えるのだと胸をときめかせた。
いわゆる「ハイカラ」というか、洋風な家庭で育った私は演歌、流行歌そして民謡さえ聞いたことがなかった。
1951年から54年までチャンスに恵まれ、私はパリで歌っていた。53年に宝塚を退団した越路吹雪さんが、パリに遊学した。ある晩、数人の人たちと夕食をした。
そのレストランにはギター弾きがいて客の周りを練り歩きながら「何か歌いませんか」と誘った。
越路さんはそういうことを嫌う人なのに、その日は突然立ち上がるとギターを借りて、裏返してその背中を指先で「トントントントト」と叩きながら静かに歌い始めた。
おどま盆ぎり盆ぎり
盆からさきゃおらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる
シーンとなった。そして大拍手が起きた。私は涙ぐんだ。フランス人も涙ぐんだ。
53年のある夜、パリの片隅で、初めて聞いた「五木の子守唄」に感動したのだった。