【15オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
海外で埋もれる日本の「残した」唄
静岡県立大教授 高木桂蔵(3)
香港にいたときに強烈に記憶に残ることがあった。
日本語をたどたどしいながらしゃべる中年の人に会った。どうやら旧満州(中国東北部)から逃げてきた人のようであった。話しているうちに、「日本と中国は手を組みロシアに対抗すべき」と主張した。「終戦のとき、ロシアは日本人に悪いことをしたが、中国人にもさんざん暴虐をはたらいた。しかし、スターリンに助けてもらった毛沢東はそのことが言えない」と熱心に語った。
「私は新京(満州国の首都、現在の長春)で、日本人の子供と一緒に遊んでいたから、日本の唄をいっぱい知っている」と話し、そこでうたい出した。懐かしい「わらべ唄」だった。
一列談判破裂して 日露戦争が始まった
さっさと逃げるはロシアの兵
死ぬまで戦う日本の兵
五万の兵を撃ち払い
六人残らず皆殺し
七月八日の朝までは
ハルピンまでも攻め落とし
クロパトキンの首をとり
東郷大将万々歳!
スターリンによる不可侵を破っての満州侵攻とシベリア拉致(「抑留」は旧ソ連に肩入れするペテン師の言葉だ)を隠すため、旧ソ連は日露戦争について、「侵略戦争」と宣伝した。その名残が今でもあるが、海外では、そう受け止めていない。
「満州における、日本人ばかりか中国人、朝鮮人へのロシア兵の暴行」を当該国の人たちは今も忘れてはいない。そして、事実上の日本統治を経験した中国人が「さっさと逃げるはロシアの兵、死ぬまで戦う日本の兵」とうたった事実も忘れてはなるまい。
旧満州ではいまなお、満州国のわらべ唄が残る。何度も確かめた。
ネムの並木をお馬のせ
なにゆらゆら揺れて・・・
この唄は、今もうたわれている。日本が海外に残した唄の調査は一向に進んでいない。
例えば北朝鮮、ミャンマー(旧ビルマ)の軍歌の半分は「日本軍の唄」だ。台湾も海軍関係に多い。
雨の降る夜に咲いている花は風もないのにハラハラ落ちる…
台湾人なら誰でも知っている『雨夜花(ウヤホエ)』という唄で、もともと次の唄だった。
赤いタスキに誉れの軍袴(ぐんこ)
僕はうれしい御国の軍夫
出征していく台湾の若者が、入営のうれしさをうたった。それが今もってうたわれ続けている。委任統治下だったミクロネシア連邦でも日本の唄がうたわれている。
インドネシアでは「日本時代の唄」を唄い継ぐ。今年も終戦記念日には「英雄墓地」に祭られている日本人兵士に対して、ジャカルタの人々はあの『海ゆかば』をうたい続けるはずだ。