【13オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
父親の心情 切々とうたう憶良
宗教学者 山折哲雄(2)
万葉集に、よく知られた山上憶良の歌がでてくる。貧乏を語り、妻子の身の上に思いをはせ、人生の苦しみをうたった歌だ。
いつしか私は、それが子守唄として読めないこともないと思うようになった。いや、もしかすると、それこそが「子守唄の中の子守唄」「子守唄の原型」ではないかと考えるようになった。
あるとき、役所で宴会があった。憶良の任地、九州の大宰府でのことだ。憶良は宴が果てるか果てないうちに、「退席します」という。家では子供が泣いているかもしれない。その母も私を待っている。そう言い置いて、さっさと帰ってしまった。子煩悩な父親がそこにいる。出世できそうにない、わがままな役人である。少々情けない父親像だ。
瓜を食べていると、子供のことが思われる。栗を食べていても、子をしのぶ気持ちが高まってくる。これはどうしたことか。子供というのはどこからどんな因縁で、この世にやってきたのか。そんなことを考えているうちに不眠に陥ってしまった。
子にとらわれている父である。日常茶飯に「子供、子供」と心につぶやいている父親の心情が切々とうたわれている。当時の憶良は、もう70歳に達していた。とすると、彼が言っている「子」は孫のことかもしれない。それとも、そんな情景を想像してうたっただけのフィクション歌だったのか。彼は、子守唄を創作していたのかもしれない。
寒い夜のことだった。
我よりも貧しき人の 父母は
飢ゑ寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは
乞ひて 泣くらむ
そんな歌もある。これはこれで、胸にひびく悲しい子守唄ではないか。
こうして憶良は子供を褒めたたえて、こうもうたう。
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに
優れる宝子にしかめやも
子宝に比べたら、銀も金も玉も何ほどのころがあろうか。
貧乏と人生苦が結びついたところに、そもそも子守唄の源流があった。
そう考えるとき、今日、われわれが知っている、ほとんどの子守唄のご先祖さまが山上憶良だったということが分かる。その憶良の子守唄に、子供賛歌の調べが流れているのが何よりの救いである。