【11オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
父の間のびした「南京街で」
シャンソン歌手 石井好子(1)
私が生まれたのは東京・本郷黒門町だが2歳の時、大森(現大田区)へ移った。
大正12(1923)年の関東大震災で、黒門町からのがれ、新築中だった大森の家に逃げ込んだという話である。大森の家は駅から徒歩で15分くらい山の手に入る故徳富蘇峰氏宅(現山王草堂)の近くにあった。
父、光次郎は戦後、政治家となり、衆院議長を最後に政界を引退後、93歳で亡くなった。戦前は朝日新聞社に勤めていた。
大森の家はそのころには珍しい洋館2階建てであった。
小さい芝生の庭があり、その入り口は白塗りのアーケードで春になると赤いつるバラが美しく咲くしゃれた家だった。2歳年上の姉。1歳年下、3歳年下の弟と年のくっついた4人姉弟だった。
5歳になったころから、2階の和室に4人枕を並べて寝るようになった。弟たちも姉もすぐにすやすやと寝息をたて始める。眠れない私は寝返りをしながら「眠らなくては」とあせる。
階下で片付けものをしていた母やお手伝いさんの声も物音も静まり、しんとした中で私はひとり、胸がドキドキして心細い。
そんな時にぎやかな声がしては父のご帰還である。営業部長であった父は毎晩宴会で帰りが遅かった。
「だめよ、起こしたら」という母の声のあと父が部屋をのぞく。父はご機嫌で「皆よく寝てる」と見渡せば、べそをかいた私が「眠れなーい」と泣いている。
父は驚きあわてて私に添い寝して、子守唄を歌った。
南京街には 日が暮れて帰るあめ屋のおじいさん
からから ころころ
からから ころころ
からから ころころ
からから ころころ吹き鳴らし
坊ちゃん 嬢ちゃん
さあさ おねんね 又明日
間のびした子守唄。音痴の父は何度も歌う。この1曲しか子守唄を知らないのだ。
幼いころ両親を失った父は祖母の手で育てられた。父はおばあちゃんの歌う「南京街で」を聞きながら寝たのだろうか。
この歌のメロディーが数年前、突然にテレビから流れてきた。サントリーのコマーシャルに使われたメロディー。
びっくりして問い合わせたら「中国の古い歌」という返事だった。