【13オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
西行の歌に漂う娘への愛惜
宗教学者 山折哲雄(3)
いつごろか、西行法師と子守唄ということが気になるようになった。とても結論にはいたらないが、しかし、もしかすると、という思いから自由になれないでいる。
西行は24歳のとき、出家したといわれている。すでに妻がおり、娘がいた。
家を出ていくと告げたとき、妻は納得したようだ。納得せざるをえなかったのだろう。けれども、まだ4歳にしかならなかった娘はそうはいなかったに違いない。
言い伝えによると、娘は縁側に出てきて、父の袖に取りすがった。父はいとおしさに胸をふさがれたが、それも煩悩の絆よと思い直し、娘を縁の下にけ落とした。
下の方から泣き悲しむ声が沸き起こった。だが彼は、それを耳にもとめぬ風をして部屋に引きこもり、やがて家を出ていった。
子別れの場面である。
そのとき西行は、縁の下から聞こえてくる娘の泣き悲しむ声を背中で聞いていたと思う。その嘆きの叫び声を両の肩で受け止め、居たたまれない気持ちで耐えていたのではないだろうか。もしかすると、彼は旅を続けながら、いつも娘の泣き声を背中で聞いていたのかもしれない。おそらく、生涯忘れることができなかったはずだ。
その西行が晩年になって、再び京都に戻って来る。洛北の嵯峨の辺りに落ち着いたようだ。出家直後に庵を結んだところでもある。その昔なつかしい土地で、「たはぶれ歌」と称する歌をつくっている。
そのほとんどが、幼いころを懐かしむ歌である。童遊びの思い出がうたわれている。その連作の詞書(ことばが)きに記されている言葉から、そのことが分かる。「たはぶれ歌」というのは気楽に打ち解けて詠む歌、というぐらいの意味なのだろう。そのうちの一首、
竹馬を杖にも今日はたのむかな
わらは遊びを思いいでつつ
《いま自分は、杖に頼らなければならない年寄りになってしまった。が、昔はその杖の代わりに竹馬に乗って遊びほうけていたものだ》
後に静かな余韻が残る。澄んだ目が過去にそそがれている。美しい童遊びの映像が浮かび上がってくる。
その童遊びの記憶が、童うたをうたっている西行の姿に重なる。かつての娘の嘆き悲しむ声をなだめるように、慰めるようにうたっている老法師の哀しい姿がダブるのである。