【15オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
母の生活実感こもる「早春賦」
評論家 大宅映子(2)
私は歌が大好きである。子供のころから、家にあった明治・大正歌謡集などを方端から歌っていた。
当時はラジオしかなく、流行(はや)り歌は何度もくり返し放送されるから、自然に覚えてしまったのだ。
中学になると英語を覚えて、アメリカのポピュラーソングや、特にカントリー&ウエスタンに夢中になり、ロカビリーブームになる前のジャズ喫茶で、何と都立高校の制服のままで、アメリカから新譜を取り寄せて、バンドの人に見せてあげるという変な少女ではあった。
日本人にも小学生から英語教育を、というけれど、必然性がなければ、身にはつかない。私はいかに、他人より早くヒット曲の歌詞をラジオから書きとり、覚えるか、をやって英語を覚えたのである。あのころのバラードは、恋を夢見て、英語の表現の覚え始めの少女にはとても有用だったのだ。今どきの鼻歌、出まかせ推敲せずの歌とはわけが違う。
昭和30年代は、歌謡曲とジャズ(ハワイアンもタンゴもなぜかジャズ)とに分けられており、歌謡曲なんてダサイ、ということになっていた。でも実は隠れ美空ひばりファンなどがたくさんいたということが後には判明するわけだ。
流行歌だけでなく、童謡も唱歌も大好きだ。
先日も二女の娘を寝かしつけようと、次々と童謡を歌っていたら、娘が、どうしてそんなにたくさん知ってるの?と不思議がっていたが、家には父のおかげか、童謡の絵本もたくさんあったのだ。
学校で習う歌も、『村の鍛冶屋(かじや)』は存在しないから教える必要なし、と削ってきてしまったが、存在しなくなったからこそ、伝統文化を教える意味でも必要だったのではなかろうか。いまふうなものは学校で教えなくても、自然に覚える、というものだ。
女学生用の『ドナウ河のさざ波』の類(たぐい)、先輩が歌うコーラスを聴いて、早く、あんな大人っぽい歌が歌いたいものだ、とあこがれた。それらの中で、一番好きなのは『早春賦』だ。
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌はおもえど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も雪の空
今日も昨日も雪の空
この歌は母の愛唱歌でもある。
母は富山県の出身で、雪が積もると2階の窓から出入りしたのよ、などという話をしながら、首にすじを立てて、声を張り上げて歌う。別にうまいわけではないけれど、本当に雪に閉ざされた人々の春を待つ心情が、胸を打つ。母も今年は百歳を迎える。あの自立した母があって今の私があることを、かみしめている。