【15オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
聖徳太子像と重なる子供の姿
宗教学者 山折哲雄(4)
柳田国男は子供がよほど好きだったのであろう。桃太郎や瓜子姫の話をたくさん書いている。一寸法師にも触れている。スクナヒコナノミコトなどもそうだ。その子供たちのことを「小さ子」とも呼んでいる。
昔から日本人は、小さいものに格別の愛情を注いできた。釈迦誕生仏も聖徳太子像も、みんな小さくてかわいらしい。お地蔵さんも初めは大人の法師姿だったが、やがて子供地蔵が普通の形になった。
なぜ、そんなことになったのだろうか。神話や説話を読むと、その秘密が分かる。これら「小さ子」たちの多くは、大人になってから大きな事業を成し遂げ、見事に変身して、この世に幸せをもたらす、と信じられていたからだ。
子供に対する期待が大きかったのである。不幸な身の上の子供がいると、つい励ましてやりたくなる。桃太郎のようになれよ、お前さんの仲間のお地蔵さんが守ってくれるよ、そういう大人たちの気持ちがいろいろな「小さ子」物語を生み出していったのだ。
そのような大人の一人でもある柳田国男は、子守唄についても心にしみるような話をいくつも書き残している。
日本の各地に残る子守唄を集め、唄の内容について語っている。子供好きだった彼は、子守唄も好きだったのだろう。
あるとき、そんな柳田の文章を読んでいて、目がくぎ付けになるような子守唄にぶつかった。
親のない子は夕日を拝む
親は夕日のまん中に
夕方になって、子供がトボトボ家路をたどっている。その子には親がいない。一日の辛い仕事を終えて、帰っていく。子守仕事もあっただろう。それとも寺子屋のような塾からの帰り途(みち)だったのだろうか。
顔を上げると、はるか地平線のかなたに日が沈んでいく。思わず立ち止まって眺める。すると、その夕日に父母の顔がぼんやり浮かんでいる。子供はいつの間にか、小さな掌を合わせて拝んでいた・・・。
そんな情景をうたったものではないだろうか。それが子守唄として伝えられていることに、私は胸を衝かれたのである。
掌を合わせて拝んでいる子供のイメージが、小さな聖徳太子像やお地蔵さんの姿に重なる。
この子守唄では、「親は夕日のまん中に」とうたっている。けれども、いつの間にか、その親の顔は仏さんや観音さんの顔に変わっていたのかもしれない。