【11オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
「酒造り唄」は醸造過程の“子守唄”
映画監督 諏訪淳(3)
南部の蔵元から仕込み唄が聞こえて来る。
ハイとーろりな
ハイとーろりとヤーエ
ハアヨーイヨイ
川の鳴る瀬に
絹機(きぬはた)たてて
波に織らせて
瀬に着せる
なかなか乙な味わいのある酒造りの唄だ。
しかし、「酒の心」を映画化したいと取り組み始めたころは、酒の心をどう捉えればよいのか。自身の心に鼓動となって触れる波長がない限り、映像にしてはいけない。それもイメージの世界に高められてゆく心のゆさぶりが描けないで「怪物=酒」を映画化などとは、まったくおこがましいと悩んでいた。
「うまい酒は、良い水・優れた原料そして杜氏の勘です。勘は他人には説明できません。寒い時には酒造りの桶に着物をきせたり、暑い時には脱がせたり・・・子供を育てるようなものです」
杜氏は淡々と話した。酒造りの職人である杜氏・菊池金六さんのこの話に、酒の心を表現するきらめきを見たのである。
製作された映画『南部杜氏』は、大正から昭和初期の蔵元の姿を描いた作品である。だが、杜氏やその下で働く蔵人たちの人柄が反映して酒の心が作られてゆく「所作舞台」を見せたのである。
この舞台の中で大きな役割を果たしたのが『酒造り唄』であった。酒造り唄は醸造過程の酒に対しての確かな『子守唄』なのである。
山鳩は酒屋の破風に
巣をかけた
夜明ければ酒売り出せ
とさえずるよ
春なれば桜の花が
待っている
夏なれば釜淵の滝
夕涼み
秋なれば四方の山は
紅染に
冬なれば風呂をあびて
炬燵酒(こたつさけ)
これは荒酛摺(あらもとす)りという作業時の唄で、まさに酒の発酵をうながす子守唄である。
酒造りの行程が機械化された最近では、現存する子守唄やクラシック音楽を流して、酒の発酵を進めると、味わいのある酒、コクやキレのある醸造酒ができるといわれ、現実に行われているが、真偽のほどは確かではない。
あの蔵元から聞こえた杜氏や蔵人が歌う酒造りの唄は、もはや耳にすることはできない原状である。
神祭や祭祀に欠くことのできない酒であり、また、「酒は百薬の長」とか「酒は憂いの玉箒(たまばはぎ)」「酒盛って尻切らる」といった例えがあるように、人との間に強い心情関係を持っている酒でもある。
酒造り唄で育った心ある酒が欲しいと願う。