【15オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
自国の曲演奏しない日本の交響楽団
静岡県立大教授 高木桂蔵(4)
さて、帰国したあと、私は文筆業や中小企業事業団海外投資アドバイザーなどをしながら、中国研究を続けた。「毛沢東万歳!」と言っていた“親中派”は次第に消えていったばかりか、自分の著作を「消して歩く」ようになった。そんな中で縁あって静岡県立大に奉職することとなった。
静岡県に多くの「地域の唄」があると思ったが、音楽関係者は「そんなものは・・・」と全く関心を示さなかった。これは今も変わらないばかりか、全国的な傾向だ。
モーツァルト生誕二百五十年でクラシック音楽は演奏できるが、日本の音楽は全く知らないという“音楽界”の明治時代そのままの化石のような状況が続いている。
香港にいたとき、日本から来た交響楽団が演奏するのは西洋音楽ばかりで、日本の曲を全く演奏しないのには失望した。今もそうだ。中国や香港、アジアの楽団が必ず自国の音楽を演奏するのと大きな違いだ。
今日も国内や県内の各地にある文化ホールで演奏されるのは、洋曲であり、日本の曲はほんのわずかだ。
「静岡県音楽祭」と名付けているのに『静岡県歌』をうたわずに始める。全国でも同じだろう。これでは、感動を共有するという音楽の最大目的が失われ、それに疑問符を付けない“音楽祭”こそ疑問だ。
この静岡県の実情を見て、「負けてたまるか!」と思い立った。それから十九年になる。県内各地の郷土音楽の収集は進んでいる。終戦から既に六十一年たち、消えてしまった唄もある。しかし、訪ねていくとまだ記憶している人がいて、時間との戦いだ。
民謡、仕事歌、わらべ唄、子守唄・・・。県内各地に素晴らしい唄が残っている。戦前の唱歌もいい。
全国的にも知られている『沼津の子守唄』が何といっても有名だ。
ぼうやはよい子だ ねんねしな
この子のかわいさ かぎりなし
天にのぼれば 星のかず
七里が浜では 砂のかず
また、富士山の南に位置するため、『岳南地方の子守唄』も伝わる。
ねんね ねこじま さんさがり乙女
乙女でっかくなりゃ 江戸へやる
ねんね ねんね
いやだおっかさん 晩がたよりは 背なじゃ
子がなく 飯ゃこげる
ドッコイセー ドッコイセー
「ねこじま」とは「寝込んでしまえ」という意味の方言だ。「さんがり」は子供がずり下がることだ。
まだ、子守唄は残っているのだ。