【15オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
「平家落人」の地に響く五木の子守唄
作家 志茂田景樹(4)
まだ新人作家のころ、T書店依頼の長編小説の取材でその担当編集者と九州を旅したことがある。その旅でいちばん奥深く入った地は、熊本県内の深い山中にある五家荘(ごかのしょう)だった。
なにしろ五木の子守唄で知られる五木地区よりさらに山深いところにあって、平家の落人伝説の地でもある。
いちおうは最寄りだという駅に降りたったときは、よく晴れていて冬だというのにポカポカ陽気だった。駅前のタクシーの運転手に、五家荘まで、と言ったら、遠くの山なみを見て眉をひそめた。
「吹雪いてる。チェーン巻かんといかん」
温暖な九州でまさか、とぼくは思った。
チェーンを巻いたタクシーに乗って五家荘へ向かうと、まもなく深い渓谷沿いの道に入り、冬枯れながら迫力ある光景に目を奪われた。しかし、それもつかのまのことで、気がついたときには雪景色のなかだった。
はじめ小雪だったのに、あがるにしたがい吹雪ふうになり、かなりの積雪になった。
「これじゃ、雪国だよね」
あっけにとられたぼくに、担当編集者は、
「たどりつけますかね」
と、心配げだった。
運転手ががんばって、どうにか宿に到着できた。風呂に入り、夕食のときに、おかみさんがあいさつにきた。
「この雪はやまんとです」
「やまないと、どうなるの?」
ぼくは、不吉なものをおぼえて訊いた。
「四、五日はおりられんとです。わるくすると、一ヶ月は・・・」
エエーッ、ぼくと担当編集者は顔を見あわせ、愕然となった。
宿泊客はぼくらだけで、こんな時期にこんな奥までノコノコやってくる物好きはいないらしい。なるようになるさ、とぼくらは開きなおって球磨焼酎の一升びんを二本、持ってきてもらった。気の毒に思ってくれたのか、宿の従業員のおばさんがふたり、酒のお相手をしてくれた。
いずれも酒が強くスイスイ飲んでは、つぎつぎに歌をうたう、それも、軍歌だの、兄弟仁義だの炭坑節だのと、盛りあがるものばかりで、ぼくらもいつか手ばたきだけでなく、声をあわせてうたっていた。
ぼくが所望したのか、担当編集者が言ったのか、おばさんたちは五木の子守唄をうたいだした。しみじみした声で、悲しくせつなく胸にしみこんでくる。
ぼくらの手ばたきは弱々しくなり、そして、知らずしみじみとうたいだしていた。ぼくは途中で目を閉じた。涙をこらえるためだった。
翌朝、五家荘の上空は奇跡的に晴れわたり、ぼくらは午後には迎えのタクシーに乗り込むことができた。
うたいつがれてきた子守唄は悲しい。悲しいから心の堰にたまった苦しみを洗い流してくれる。