【13オピニオン面】
唄いつぐ−親から子へ
「よい子に読み聞かせ隊」結成
作家 志茂田景樹(3)
「よい子に読み聞かせ隊」を結成して夏には満七年になる。そして、秋には開催した読み聞かせ会の回数が千回に達しそうである。
「よい子に読み聞かせ隊」の結成一年ほど前、ぼくは書店で開いたサイン会に野次馬の親子が多数まじっているのを見て、よし、童話の読み聞かせをやるぞ、と奮い立った。それまで各地の書店で催したサイン会にいつも親子の姿があって、ちょっとのあいだ、ヘンなおじさんだぞ、と物見高そうにぼくを見ていた。
野次馬だからすぐに姿を消してしまうが、いつもそういう親子を見ているうちに、(読み聞かせでもやってみようか)という思いが生まれた。
きっとその思いは、ぼくが母から読み聞かせをいっぱいやってもらった記憶と、どこかでしっかり結びついていたはずである。
母は自分をオンチと言っていたし、どうやらそのことを負い目にしていたようで、人前で歌をうたうことがなかった。前々回に書いたが、子どものときに母の子守唄を聞いたおぼえがないのだ。
しかし、読み聞かせをやってもらった記憶は、しっかりとある。
ところで、母がこんなことを言ったことがある。「あなたには一歳のころから読んであげたものよ。途中で眠りだしたので、しめたと思って離れて食事の仕度にかかると、すぐに目を覚まして泣きだした。そんなことが何度かあってから、こんどは眠りだしても、その絵本を読みきるまで続けたの。そうしたら、二時間三時間と眠り続けてくれたわ」
アンデルセンの童話を多く読んでくれたらしいが、一歳前後のぼくに物語を理解できるわけはなかった。それでスヤスヤ眠りだしたのは、母の愛情が伝わってきて大きな安心感を抱いたためだと思う。
それと、すぐれた童話には子守唄効果がある、ということである。それも、悲しくせつないもので、深く感動させられる物語ほど、癒し効果が大きい気がする。ゼロ歳一歳児でも、本能的にそのことを感じとるのかもしれない。
話はもどるが、そうしてはじめた読み聞かせは、子どもを大いによろこばせ、おとなたちを感動させ、そして、読み手のぼく自身の心も洗ってくれるものになった。読み聞かせのすばらしさを肌で知ったぼくは、妻とふたりで二人三脚の読み聞かせ活動をはじめた。仲間がひとりまたひとりと増えていって、十人を超えたところで「よい子に読み聞かせ隊」を結成した、というしだいである。この間、童話の創作もはじめたが、その自作の童話には悲しい場面が多い。
しかし、読み聞かせると、二歳未満の子の多くはスヤスヤ眠りだし、三歳以上の子はよく涙を流して感動してくれる。