3月6日(月)
今日から
「産経新聞」の連載が始まりました。
「見ましたよ」「読みました」といった便りが届き、今更ながら新聞というものの力の大きさがよくわかりました。
「子守唄」このキーワードがどれほどの意味を持つか、大人たちの全ての方にわかって欲しいと思います。この後、松永伍一、中川志郎さんといった諸先生の原稿が続きます。是非読んで欲しいと皆に宣伝しています。
「アジアの子守唄」の残務整理。
3月7日(火)
このところ暖かに春を感じる日が続きます。
父が死んで、あっという間に45日がこようとしています。
母と二人きりの老人住まいも一区切り、毎日荷物の整理と棄てるものの山と格闘しています。思えば、この世からさよならすればモノは無用、ごみと化して残務の手煩わせが残った者の仕事となります。母はいさぎのいい人なので、父が死んで数日したらもう家の中から父のものは全て消えていました。
90歳の母の老後の計画が難儀で、気強い母にして一人住まいの寂しさには耐えられなかったようです。一挙に老婆となったように見えましたが、幸い可愛い孫の家に世話になることが決定するや、持ち前の元気さや気丈さが戻ってきたようです。母にとってはひ孫の食事の世話が出来るということが何より生きがいのようです。
誰かの役に立っているという意識が実は生きるということなのだと実感しました。
私の方は縁日で買った金魚がまるで鯉のように大きくなったという、母の丹精の賜物を貰い受けることとなりました。「金魚の引越し」の日取りなど決める穏やかな春の一日でした。
3月8日(水)
朝、産経新聞・有川、山本両氏と打ち合わせ。
長い連載は、日の立つ速さとの勝負、沢山の方にお力を頂くことを感謝しつつ、綿密な打ち合わせに入りました。
夕方、石川の子育て支援財団・谷内迪子さんが日本青年館結婚相談所の板本洋子さんを伴って来訪。子育て支援の少子化と結婚を結びつけて仕事としたいと考えている谷内さんの発想は実に現実的。縦割りの中での男性の仕事とこの具体性で女性の仕事が、現代に合っているのかも知れないと、ふと考えてしまう。
三人で痛飲。よく飲みました。
3月9日(木)
桜チャンネル出演。
なんとカラオケまで歌ってしまいました。恥ずかしい。
帰り道、表参道の町で若い女性に声を掛けられました。
「最近何かいいことがあったのですか?とてもいいお顔をなさっていますね。私、今、人相学をしています。これから私の先生と会うのですがよろしかったら一緒にみていただけませんか」といった勧誘。話が終わった途端「あ!先生!!」と先生が登場。と手が込んでいるキャッチ商法。皆さんくれぐれも引っかかったりしませんように。
3月10日(金)
池上本門寺へ。酒井日慈貫主様をお訪ねしました。
「極楽を約束されても娑婆がいい」という額が下がるお部屋で四方山話。
飾り気の無いお人柄はずっと以前からのこと。
子守唄と声明のドッキングの話になり、秋に実現することとなりました。
雨の今日、本門寺は東京都は思えない静寂が漂っていました。
3月11日(土)
孫の桜子ちゃんの新体操発表会。孫馬鹿の私としては何があっても出かけていきました。
孫の成長と自分の老いとはどちらも追いつかないほど早いということを実感します。
夜は皆ですき焼きをしました。
3月12日(日)
国立小劇場に花柳寿南海さんの素踊りを観にうかがいました。
京都の四季をなんと華麗に舞うことでしょう。
先生の舞いの「きっぱりさ」が本当に大好きです。
今日は「お社」の日とか。知り合いの演劇記者の皆さんとお会いしました。