2月5日(月)晴れ
チャイルド浅香会長と米野さんと今年初めての新年会。
浅香さんは社長から会長に、米野さんはますます僧侶っぽくなってきた。
昔から変わらない人というのは珍しい。
私が人脈を大変換したのは離婚のとき、懐かしい人や編集者が蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。以来人というのは信用できないものだと思った。当然私自身にも大きな問題があったのだろうが、正直肩書というのもあいまいなものだと思った。
浅香さんも米野さんも全く変わらず付き合ってくれた。
今も何十年と付き合いできているのでそれはそれで何ともありがたいと感じている。
風邪が治りきらないので早めに切り上げて帰宅する。
2月6日(火)晴れ
寒い日は続いている。
根岸さん来訪。お話の会をしたいと打ち合わせしていたが、彼女は立派に入場料をとって会を主宰していることを思えばあえて今学ぶことはあるまいと結論出来た。
どんなお話か私はきいたことが無いのでわからないが、高齢になって何かをしたいという人はいかに多いか、年の取り方と仕事の関連はこれからの問題だと痛感する。
2月7日(水)晴れ
長田暁二先生の原稿のチェック、何しろ物知りと大いなる博識にびっくり「赤い鳥外史」
今年は童謡100年という年、と言っても若い人には何のことかわからないらしい。
歴史の重みや事実をよく御存じの先生の原稿はこちらも相当緊張しないとまちがってしまう。資料と首ったけになって拝見させていただいた。
「赤い鳥」がどんな評価を当時されたのか、皆目わからない。
しかし、子どものためにと言って小説家を投げ捨てるというのもかなり覚悟がいる。主宰者の鈴木三重吉という人に興味があった。嘘か誠か、わが子に読む本がないというのが発刊の理由というのも本当だろうか。意地悪な見方だが書くことへの限界を感じたという事はないのだろうか、死んでしまった今は真相はわからない。
2月8日(木)晴れ
小学校の同級生、山下清ちゃん 常田さん、わたるちゃんと本八幡で待ち合わせて新年会。ああでもないこうでもないといつものようにただ笑いながら楽しい時間を過ごした。
なんといってもクラス変えはなかったのだからきょうだいのような関係。
清ちゃんは病気の奥さんの介護、わたるちゃんは娘の結婚で初めて孫ができる。常ちゃんとは浦安市民大学でいつもあっている。お互い年の事などすっかり忘れているのがいいのかも。
2月9日(金)晴れ
大きな会議を終えて夕刻おくれて永寿病院まで坂口先生の診察。
CTで出た肺の陰ははっきりしていたのにレントゲンではあまり気にならない、ので、
また様子を見ましょうという事になった。
小笠原先生では風邪が長引くのは肺に疾患がある人は気管支に入るので仕方ないと言っていらしたが、咳き込むのは結構きついものがあってなかなか気が晴れない。
今のところは膠原病の兆しもそんなに深刻ではないというので安心はしているが、無理をしない事、よく眠ること、などあまり守れそうもなさそう。
石牟礼道子さんが亡くなったという。90才、よく頑張ったと思うけれど。
最後の最後までお書きになっていたというからすごいエネルギーだ。
京都で秋に自作の「能」が公演されるという。
明日はオリンピックの開会式。すっかり北朝鮮にのっとられた感のする前哨戦、矢張り金正恩という人は只者ではないのかもしれない。