平成30年
1月9日(火)晴れ
ららばい通信出来上がり。
今日から仕事始め、午前中年賀状の整理、暮れの荷物の再度の配送、など慌ただしい。
昨日遅くまで原稿を書いていたが、思ったより寒くなかった。というより東京は昼に18度という四月並みの陽気であった
年の抱負や仕事に対しての覚悟は協会設立20年を期して私の中ではだいぶ変わってきた。時代の変化はどんなになるか皆目見当はつかないが、対処できるようなりたい。
1月10日(水)晴れ
今の仕事の50%は機械がやる時代が来るという。それを余暇ととるか怠けととるか、それは今後の課題となるそうだ。基本の生活費は国が保証するというシステムが問われているというのだが、その実現はいつ来るのか、はもうすでに始めている国があるのだというが、日本ではどうなのだろうか。
午前中風邪がなおりきれないので小笠原先生に。
今日はららばい発送、義兄や姉、卓ちゃんが発送を手伝いに来てくれている。
1月11日(木)晴れ
寒い日だ。
午前中藤井、春日さんと打ち合わせ。二時川越市場の根岸社長来訪。
明日から強行スケジュールなので支度に大騒動。
それにしても年賀状とはおかしなものだ。確かにしばらく音通のない人からの方が圧倒的にいただくことが多い。そうでない方とは元旦に電話やメールで話してしまっている。頂くばかりには恐縮してしまい、と言って何百数の返事はこれまたなかなか大変、仕方ないのでららばいで手紙を入れてごあいさつすることにした。
1月12日(金)晴れ
昨晩咳がひどくなったので小笠原先生から薬を頂く。
朝の夢見がとても怖いもので、なぜかフランスのホテルの窓から外を見ていると人が大勢集まってしつらえた断頭台を見ている。やがてドレスの女性が出てきてン顔を上げるとダイアナ妃、さっと首を切られて下に落ちていくという夢だった。
とても不気味なのにダイアナさんはイギリスなのでちんぷんかんぷんなのに、しばらく朝の気配の中で身動きとれずにいた。
寒い所にあすから行くので荷物は着るものばかり、雪の中で転ばないよう配慮が厳重になってきた。弘前は吹雪いているらしいというのだが、洒落気よりダウンにする。
1月13日(土)晴れ
盛岡は晴天。こういう時なんだか調子抜けしてしまう。
わんこそばの歓迎でみちのくみどり学園の子どもたちはとてもうれしそう。
学園の改築費用の募金に1000万を出してくださった加賀谷さんの社長と副社長が見えていて今年はお年玉を子どもたちにくださるというので、みんなとても元気だ。
それにしてもお金を枕にして寝ている人もいる世の中ですごい人もいるものだ。
午後、横山さんの読み聞かせとレインボーカルテットの子守唄コンサート、一般の方も交えて園児と重篤の子どもたちの部屋との二か所で行った。重篤の子どもたちの女の子は、演奏者のきれいなドレスに触りたくて仕方ない、目が輝いてずつと追いかけている。
1月14日(日)晴れ
盛岡からみんなは帰郷、私は榊原さんと弘前まで。
弘前では川口京子さん、稲村なおこさん、長谷川芙佐子さんが待機してくださっていて
早速「ファミリーコンサート」が始まった。
東京から寳田さん、土佐から伴さんがお見えになり、弘前の木村ヨシさんからは子守の人形を頂き会場に飾らせていただいた。子守唄の資料をくださった木村繁さんのお嫁さんもおいで下さり、たくさんの子供連れのお母さんはじめ皆さん喜んでくださった。
終わって、寳田さんと車で平川市に向かう。
その前に会場の下の階で雪靴のブーツを買った。珍しくSサイス゛があったので幸いした。
平川では貞昌寺の赤平さん、緑風会のご老人を訪問して、夕食は木村ヨシさんのお宅で郷土の手作り料理と日本酒を頂き、みんなでカラオケに繰り出した。つるつる滑る雪道をヨシさんに抱えられながらホテルに帰り、リンゴ風呂に入り眠る。つかれたあ。