11月27日(月)晴れ
青森弘前の木村ヨシさんから父母恩重経の経典の反物が送られてきた。
とても個人がもつような軽いものではない。
工藤和尚に手渡し、皆さんに観ていただきたいと考えた。
午後、和尚に手渡した。うれしい贈り物にびっくりした。
今日から必死に「ららばい通信」の編集に入る。
11月28日(火)晴れ
松戸でティーコンサート。剣持さんのご厚意で素敵なサロンコンサートが実現した。
大人の子守唄の会は久しぶり。本当はこういう会をしていきたい。
終わって久しぶりに小学校の同級生たちと痛飲。
11月29日(水)晴れ
小岩サンハートのミニコンサート。
11月30日(木)晴れ
米沢こまつの町長とお会いする約束が反故となった。
井上ひさしさんがらみなので理由はわからないがまあ、こういうこともままある。
12月1日(金)晴れ
大河原さんと算命学の勉強会。運勢は一人では決められないとやっぱり思う。
事件や大騒ぎの渦中のひとを算命学で見ていると予感や予想というのが良くわかる。
といって、それがすべてではないことも100パーセント、つまり生かされている生きているのも自分次第というのが「占星」の基本という事だ。
夕刻、田井さんと六本木で食事。田井さんとは長い付き合いとなった。
豪勢な山中湖の別荘も手放したそうだ。
仲間がいて、体力があって、面白い話題があって、そんな時期の別荘の時間を共有していたが、それも私たちには終わっているかもしれない。
今は時間があれば自分に向かい合いたいというということになってしまっている。
12月4日(月)晴れ
師走となると町はとても賑やかだったのは昔の話。
余り寒くもなく、心も賑わうことは無くなっている。
「バーグマン」の自伝やDVDをアマゾンで買う。驚くほど安いのにびっくり。
しかし、ああ堂々と生きられたらどんなにいいだろう。
夜、森繁久弥さんの日本名作座をまた聞き直す。
12月5日(火)晴れ
夕刻常田さんが来訪。8日の浦安市民大学の講座の打ち合わせ。
「ときわ」のママが亡くなり、義理堅く弔問にも出向いてきたらしい。
昨日まで元気だった人がいなくなるのだから大変は大変だが、「死」は本当のところ身内でなくてはわからないことだ。
12月6日(水)晴れ
銀座「過門香」でまったくシークレットの忘年会。
名前は明かせないし、セクションもかけない。といった人たちと雑談、そういう集まりがあることもこの年齢になると必要なのだと皆納得している。
確信に触れた話題にみんなが耳を傾ける、といった合間にくだらない雑談を挟む。巧妙な
話術と話題に技術がいるのは大変なことだ。しかし、さりげなく終わりに「また」と次回を約束して散会となった。
12月7日(木)晴れ
お歳暮の礼状書き、返礼の配布など、暮れのうれしい忙しさだ。
大木唐辛子店に行き、大辛を調合してもらう。
去年は「大腿骨骨折」で病院にいたことを思えば元気に動き回れるだけでも幸せというもの。
間もなく今年も終わろうとしている。
12月8日(金)晴れのち雨
「浦安市民大学」昭和歌謡の流れ。長田暁二先生と一緒に、私は聞き役。
「りんごのうた」から「川の流れ」まで、博識の先生の話題は尽きない。
音楽というより時代と人の流れの中で「歌謡」の変換と時代を考えるというもので、皆聞き惚れているように見えた。
終わって先生を囲んで宴。
12月9日(土)晴れ
続いて「浦安市民大学」の私の講座。置き忘れたものについて話す。
終わってオーストラリアでご一緒した西前美巳先生ご夫妻と歓談。イギリス文学の研究家でいらした先生は鮮明にあの頃を憶えていてくださって、私などすっかり忘れているのに、お伺いしているうちに懐かしく思い出されてきた。
追憶はいつでも懐かしく、良い時間だ。私にとっては失った宝物だ。先生から著書を頂いた。
奥様は私が差し上げてきた洋服を今でも愛用なさっているとおっしゅつてくだり、パーティーが多かったのでとても助かったとおっしゃってくださった。実をいうとあれ以来どこに行ったか探していたドレスだった。すっかり差し上げたことを忘れていたのに大笑い。確かにあのドレスは役立ったと痛感。とても知的な話題に久しぶりに触れた感じ。あわてて、英国作品を書庫で探しても見つからない、明日買おうと思っていたら、娘が来て、韓国の小説の凄いのがあると持ってきてくれたので、夜はその小説を読むことにした。