2月13日(月)晴れ
定例会があり、認定NPOに向けての定款変更などの協議。
理事長の私がそんなことを云ってはいけないのだが、役所の規約や規則などに納得していただくにこんなにも、かかりきりにならなくてはいけないのか、ふと疑問になる。
NPOのありようが問われているのも、確かにとんでもない事件が起きていたりするので
一生懸命している方が迷惑することも多い。
ところで横浜のいじめ、なぜ中学生が100万もの金をもっていたのか、それに大いに疑問。
学校はまた頭を下げて終わりなの?
教育の現場が本当に問われなければいけないと改めて思う。
正直、規制や規則をいくら作っても、それをきちんと見ることが必要。厚生省も認知症の患者に薬を規制しているにかかわらず、おとなしくするために、多量に飲まされ廃人になっているケースにはことが起きなければ目をつむっている。
幸福の科学の女優引退も・・ええ、引退ってこういう時使うの?
出家ってなんなの?
マスコミのオーバーな扱いの方が何ともおかしいのでは。騒がなきゃいいじゃない。
2月14日(火)晴れ
原荘介、清水睦夫氏と「子守唄研究会」の打ち合わせ。
原さんとは子守唄の勉強をするときからの仲間、会うと喧嘩ばかりしているが年も同じ、一番大変な頃、つまり子守唄協会なんてだーれも知らない時、何するのとみんなに不審に思われた頃からの仲間、というより若い時からだから40年くらいたつかしら?
大げんかでもう絶交とまで言ったりしたけれど、こんな友達関係というのも正直あきれるほど珍しいかも。
「子守唄って土の匂いなんだよ」「そんなのもう古い」「俺はそうは思わない」と意見がわれる。
そういえば今日は北朝鮮の暗殺事件でもちきり、いまどき毒殺って時代錯誤ってこの方じゃないの? 人間の権力志向というのは何千年たっても変わらないという事が立証されたみたい。おぞましいけど、隣国にこの国がいるという事の怖さ、不気味さが際立ってきた。
2月15日(水)晴れ
浜松聖隷学院理事長、長谷川了先生にお会いしに行く。
父上の長谷川保先生のご意志をついで聖隷学院のお仕事に従事していらっしゃる了先生のところで子守唄の会をさせていただきたく打ち合わせに出かけた。
聖隷の資料室を案内していただき、「無私」の心で結核療養所設立に取り組んだ保先生とその仲間の精神が、まぶしいほどに輝いている。
聖なるものの奴隷という志は日常の中に、生活の中ににじみ出ていらっしゃるのは聖書の勉強ノートに示されていて、こういう方が日本の精神性を作ったのだと、頭の垂れる思いがした。浜松は川島俊六さんという7年程前に子守唄協会に突然訪ねてくださった方のご縁。三万坪の山の持ち主でその入口に今でも「子守唄の里」という看板がかかっている。
山を何とかできないか、と相談を受けたが、なかなかいいアイディアがないままに今に至っているが、聖隷の長谷川了先生とは幼馴染とか、そのご縁で今日もお会いすることが叶った。
浜松「景虎」人気で大賑わい。川島さんに神社まで連れて行っていただいたが駐車場が満員で見学ならず、またの機会にした。
2月16日(木)晴れ
そろそろHPのリニュアルを考えている。
情報の氾濫の中で何が力を発揮するか、ユーチューブがいい、フェイスブック、ツィッターがいい、というけれど正直誰にとって情報とは必要か、疑問になる。
北朝鮮暗殺事件、藪の中。結局国家的解決で終わるのだろうが、恐い国家だ。
山平さんとHPの打ち合わせ。門山さん来訪、唱歌資料の整理とミャンマーの子どもたちへの支援活動の話などする。
また、読む本が山と積まれてしまった。早く帰って読もうと思ったがアマゾンで買った「日曜名作座」が届き、それを聴き入り眠ってしまった。
2月17日(金)晴れ
教材普及活動、「子守唄さんこんにちわ」、ご入用の保育園、幼稚園がございましたら是非協会に申し込んでください。(無料)
とても暖かな日、春を通り越して一挙に夏 町を歩く人が半袖のTシャツなのにびっくり。
原稿書きに追われ、とにかく早くに書かなければと必死。
2月18日(土)晴れ
今日から西和賀、寒いという予報だが、昨日の今日、完全防備で出発。
北上まではビーカーの晴れ、しまった又オーバーないでたちできてしまったか、と思った。
西和賀まで車の移動、なんと15分おきに景色が変わるとうとう西和賀に着いたときは大雪。
そうなのだここは車で秋田横手まで30分の距離、やはり豪雪地帯。
懇親会の後、温泉に入って早々ねてしまう。
2月19日(日)雪
一晩で50センチの積雪、なんと1メートル50はある。
まだ吹雪いている。なのに銀河ホールは満員。不来方高校コーラスの皆様のうまいこと。
こちらは稲村なおこさん、藤井秀亮、逸見良造さん、この演奏もとてもいい。
宮沢賢治、石川啄木という郷里の詩人の唄はやはり受ける。
西和賀も七年目、一番乳児の死亡率の高かったこの町は、それを克服。老齢化していながら、虐待の子の世話や里親活動にずっと町をあげて取り組んでいる。輝け命ネットワークも組織された。午前中は里親会議があった。こちらも満員、意識の高さが伺える。