4月6日(月)晴れ
なんとも寒い。寒の戻りだ。
夕刻から、米野さん、下條さん、それにチャイルドの浅香社長、初めての顔として吉岡さんが加わって神楽坂で一献。吉岡さんは青木繁の名作「海の幸」が書かれた千葉館山の家の保存のNPOを立ち上げていらっしゃる。日本酒がおいしい季節とあって、桜はないのにお花見気分、相当酔ってしまった。
4月7日(火)晴れ
情報と言うのもあまり多いと食傷気味、感動や怒りも薄らいでしまう。悪いことをしてニュースになってももはや、へぇ、といった感じで完全に良心がマヒしている。
政治家の薄っぺらさにもまたなの、といった程度になっているのは本当に怖い。維新の会の比例で受かった若い女性の議員の開き直りはすごい、辞職議員勧告に対して「当然の権利」を主張して議員は続けるという厚かましさに厚顔無恥という言葉を思い出した。
午後台東区長を訪問。夕刻歯科に出かける。歯は30分磨いて、きれいになってからでなくては治療は開始できないというのだが・・・。
この数日睡眠が3.4時間くらいしか取れない。次の日を考えると薬に頼るのもなんだと控えているが、やはりとても疲れるのが気になっている。
4月8日(水)晴れ
猛烈な寒さ、なにこれ
午前中は永寿病院で定期検査。それから寄付者への礼状書き、メールの返事など書いているうちにあっという間に夕刻、今日はアイスランド協会の脇田さんと銀座「みかわや」で食事。この老舗は日本で一番古い洋食や、よくNHKの専務だった野村さんと食べに来たものだ。そういえば民放連の中川順さんと三人でよくこの店で待ち合わせをした。みんな故人になってしまった。店の人も変わった、というよりみかわやの御主人も病気で店にはお出になっていないという。時代は刻々と変わり人も店も同じに変貌をしていく。
脇田さんとも何と長い付き合いになってしまったことか、改めてまた、古巣スポニチに役員で復帰なさったという、東映、石原プロ、全盛の頃の映画担当「文ちゃんも健さんもいなくなったよ、元気なのは加山と旭、あれは化けものだね」と夜の街を話しながら帰る。
4月9日(木)晴れ
日本子守唄協会が成立した時、会長を引き受けてくださった故松永伍一先生は「宗教思想育ち環境、全ては全く関係のない世界が子守唄だ」と教えて下さった。
阿部さんとおっしゃる方から母がうたっていた子守唄の出所を知りたいというお便りをいただき、私は伊達藩のわらべうたにあった記憶を話したが、なぜか自信がなかったので、尾原昭夫先生に教えを請うた。間髪いれず、お返事をいただき、さすがの知識に脱帽、研究家のすごさを思い知らされた。初心に戻り、松永・尾原大巨頭の真摯さと研究熱心さを見習い、勉強やり直しを誓った。
4月10日(金)晴れ
茨城県結城市まで子守唄の会に車で出かける。
結城市乗国寺、曹洞宗の結城家の菩提寺だ。高齢のご住職の元気なこと、やさしい笑顔がまぶしい。原荘介、小林誠子さんと一緒。子守唄が大切と思っていただければ幸いだ。
帰りは清水さん、事務所の進藤、のりちゃんと「道の駅」で打ち上げ。なんだか遠足のような感じだ。参加者が大声でうたってくれたのが何よりうれしかった。まさに「うたってよ子守唄」だ。