2月16日(月)晴れ
ララバイ通信の台割りを作り、何と忙しいことか。
それだけ内容の充実ができてきたように思う。
剣持映子さんから石井幸子さんが手製で作ったお雛様をたくさん送ってきて下さった。
被災地やみちのくみどり学園などに送るために、台座と屏風を買いに行く。
午後清水さんと打ち合わせ。常務理事会の決定がいつも話で終わってしまうことを避けたいというところから相談をした。
2月17日(火)晴れ
新門塾。大塚さんワカメを持参。私は今日のインドの報告があるのでカレーを大量に作る。昨夜野菜を切っておいたので、海鮮と鳥の二種類のカレーにする。
夕刻から思わぬ人数の参加者が集まり賑やかに新門塾が始まった。
静岡から子守唄に興味を持っているという方もいらして、そのまま新門塾になだれ込んだ。
2月18日(水)晴れ
午後に青木さんと会食し、これからの新門塾のことを話し合う。
子供の部屋というセクションを作りたいという新門さんの希望もしっかり取り入れたいという計画もある。人の御縁を大切にしていきたい。
2月19日(木)晴れ
原稿書き、産経の原稿できあがる。曽野綾子さんの移民の話が話題になっているが、同じ文化同じ慣習を持つものは価値感をそう簡単には変えられないし、一緒に群れて住むのは一番自然だと私も思う。人は簡単に平等公平というが、実際この街でも中国の人に店を貸したら、何と何十人が寝泊まり移り住んで来てしまった。まるで下宿、中国人は一族が頼って寝泊まりできれば安上がりの上、結束も強いということが平気なのだ。その文化を知らないで日本人と一緒がいいなどとはとても言えない。
訳知り顔なのが意見を言うことがどんなに無責任か、を改めて感じる。曽野さんが正論なのだ。今日は「星に願いを」の施設の勉強会、雛まつりについて話す。
2月20日(金)晴れ
暖かになっている。春は近いのだろうか。
朝の新幹線で福井まで。米原から乗り継いで福井着、そこから藤木さんの案内で永平寺まで。雪の寒さを覚悟していったが暖かくほっとする。若い芳実さんの案内で普段は見せてもらえない永平寺の中を御案内していただいた。中学校の時と「道元」執筆で前夫と一緒に来て以来の永平寺だ。夕刻武生まで。みんなで懇親会を兼ねて食事。
2月21日(土)晴天
たいら保育園で子供たちのリズムという教科を見学。
11時に会場入り。常田富士男さん稲村なおこさん久保祐子さんと一緒。
思ったより動員が多く、四月の陽気のせいか、みんな春を喜んでいそうな感じ。
子供が出てくると本当に座が賑わう。終わって私はその足で京都経由で広島に行く。
みんなは東京に帰るので一足先に京都まで。
京都から広島まで。広島は小雨、迎と行き違いがあり、私はホテルまで直行、後でみんながホテルまできて下さり、そこから御寿司屋さんへ。会食が終わったのが10時、総代さんに連れられて広島繁華街まで、一席ご一緒した。
2月22日(日)小雨
9時船越観音豊稔寺まで。長い階段をふーふーいって登っていく。
今日はまつりとか、多くの方が本堂に集まり、12年前にもここを訪れたことを覚えていてくださってみなさん再度おいで下さった。ありがたい。
昼過ぎ終わって総代さんに駅まで送っていただいた。
広島はかつて孫が幼少期にいたことがあり、私は会いたい一心でこの地に何が何でも仕事を作り一カ月に一度は訪ねていた。その懐かしさと月日のたつことの早さをしみじみ思う。
坂東三津五郎さんが亡くなった。一度対談させていただいたことがある。その時浴衣をいただき今も大切にしまつてある。59歳、まだまだ若くこれからというときにとにかく残念。人は順序良く死は来ないことが恨めしい。寝ながら永平寺の庫裏の料理本を読む。