2月17日(月)晴れ
相変わらず寒く、又、雪被害の情報が大事件として報道されている。
寒いので溶けないのだ。午前中医者に行き風邪の薬をいただく。
帰って富山の礼状ついで原稿書き。夕刻から所用で市川に帰る。
富山から帰ったら、二人の人が死んでいた。どちらも近所のおじさんおばさんだが、昨日までいた人が突然いなくなると言うのもなんだか奇妙な話だ。
明日は新門塾。
2月18日(火)晴れ
松永伍一さんの会の会議があった。
今日は新門塾。「それからの納棺夫日記」の皆様の感想を聞く。一人一人の感想が飛び抜けて面白かった。看取りという仕事をしている人が最近はなくなっても、その日に遺体に付き添うという人がいないという現実を話したのが印象的だった。
終わって懇親会。今年も又新門塾で良い勉強をしよう。
明日が早いというので新門さんは早々引き揚げ、本当にとんぼ返りだ。
2月19日(水)晴れ
清水さんとうち合わせ、風邪が長引いているようだ。
今日も寒い。
2月20日(木)晴れ
「おしゃべりシネマ」今日は羅生門。
映画を見終わって自分の中の曖昧な記憶力というのにビックリ。
嗚呼そうか、そういう映画だったのだと改めて感動する。
人間の理屈や生き方のとらえ方は千差万別、一つにしようとするのがそもそも無理。
なのに白黒つけて型にはめようとしているのが近代思想、それでは何も生まれない。
諏訪監督泥酔状態、年になったというが、単に飲み過ぎただけ。
2月21日(金)晴れ
浦井正明氏と中道さんと会食。
浦井先生は上野寛永寺執事長でいらした学僧。「浅草民族学」設立のご相談をする。
久しぶりに「小柳」に行く。道々の店は全く浅草らしい、改めて土地の特色という物を感じる。
2月22日(土)晴れ
駒込学園の講演会。この学園の勢いのあることにびっくり。
「子守唄」の話をする。いまさら子守唄でもあるまいに、と想っていた人は多そうだ。けれど講演がおわって若いPTAの男性が「自分はとても愛されてそだったのだと想って涙がこぼれました、正直、なんだろう子守唄などとおもっていました」と正直に感想を言ってくださった。歌は説得させる物では無く、感動させるものなのだと思う、それを日常にしていた母親達の底力を伝えたかった。何とか通じたようだ。終わって聚楽で懇親新年会、少し飲み過ぎたかな。