1月20日(月)晴れ
岩手好摩の「ユートランド」に宿泊。松子と二人だけの宿泊客で野天風呂に入っていたら、髪の毛がバリバリに凍ってしまった。かって孫が小さかったとき、ここにはよく来たし、あの頃はまだ本当に幼い子どもを見るのが楽しみだった。年は思わぬ残酷さで自分を追い込んでいく。
昼に盛岡で赤坂みどりさんに会い、そのまま東京に帰る。
1月21日(火)晴れ
午前中台東区生涯学習センターのうち合わせ。みんな年の取り方を模索しているようだ。
午後新門塾の用意、今年初めての新門塾、先生がおみえになった夕刻から、早くも人が集まりだして、今年の幕開けにふさわしく続々来週「それからの納棺夫日記」を配布し、今年の抱負の後、懇親会となった。
1月22日(水)晴れ
小田原に取材
永寿病院定期検査、膠原病のマーカーが上がっていると聞かされたが別に今は特別何処がどうと言うことは無い。
1月23日(木)晴れ
孫の桜子の風邪がインフルエンザと判明、ビックリして又医院に。検査の結果風邪は風邪でもインフルではないといわれてホッとする。明日は「ともいき財団」の評議会、夜、木下さんと青木先生と浅草に行き食事をする。
1月24日(金)晴れ
朝6時には市川出発、芝増上寺まで。「朝粥会」にでる。
おわって青木、木下両氏とお茶をして事務所に。明日は周防大島まで行くので早く帰宅したいと想いつつ、結局夜中まで仕事にかかってしまった。というのも今日から始まるおしゃれサロン「わくわく絵画withワイン」の会が今日から始まる。江藤ひさし、志茂田景樹両先生と一緒にそれこそとんちんかんな絵画の解説。それはそれでとても面白かった。第一来ている皆様が面白いのだ。
1月25日(土)晴れ
妙に暖かな日だ。岩国空港まで,清水、青木、両氏と出発。
周防大島には迎えを頂き、広島から駆け付けて下さった姜さんと舞台を作る。
突然「つららのぼうや」を朗読することとなり、あわてたが、こういう時は度胸を据えることしかできない。何とかこなしてホッとした。
1月26日(日)晴れ
午前中は温かな日和となった。青木、清水両氏はそれぞれ帰京、帰富、わたしは長門の西光寺まで。今日の泊まりは自給自足の「百姓庵」長老の蓮住職に連れられて山の奥の庵まで出かける。寒い。突然に東風から寒風に、カタカタガラス戸にあたり鳴る海風、五右衛門風呂に杯伝手も一向に暖まらない。したがって早々と床に入らせて頂く。夜中熱があると感じたがどうにもからだが動かない、第一寒いから動けない。こんなに待ち遠しかったことはないが、ぼそぼそ話す蓮住職の声と火のはじける音がしている朝になっても身体を動かすことができない。何とも情け無い。
1月27日(月)晴れ
午前西光寺にて講演。檀家の婦人会の皆様が熱心に聞いて下さった。
午後またまた蓮住職に送られて観光しながら新山口まで。
夜に東京着。ああ、しんど。
1月28日(火)晴れ
NHKの皆様と新年会。西麻布で。
1月29日(水)晴れ
一日引っ越し。
1月30日(木)晴れ
午後からともいき財団の評議委員会久しぶりに山折先生にお会いする。
その足で日航ホテルで待ち合わせ、浪岡、古河さんに会い、お田幸で食事。
1月31日(金)
引っ越しで大慌て。何しろ、居を移すと言うことは並大抵ではない。
その中を「松永伍一氏をしのぶ会」のうち合わせ。
2月1日(土)曇
西和賀まで。ここは雪が優に二メートルは積もっている。連日の疲れと風邪で気が転倒している。熱っぽいので懇親会を早めに切り上げて温泉に入り導眠薬でねむりについた。
今年は年明けから旅続き。これでは身体がとけちゃうよ。
2月2日(日)晴れ
朝は小雪、やがて雨となった。
子守唄の会、本番。去年も全国合唱コンクールで一位になった不来方高校の見事なコーラスの後とあって、こちらは原荘介さんと私のじじばばコンビ、妙な取り合わせだが、なんだかおかしい。雪道を藤澤先生に送られ車を飛ばして新幹線まで。東京は温かだった。