12月10日(月)晴れ
図書の整理
12月11日(火)晴れ
柳橋のサロンを柳橋倶楽部という名称にする。
あまりの忙しさに結局は活動を来春一番と言うことだろうか。
と言って今日は原荘介さんが来訪。
12月12日(水)晴れ
別府に講演で出かけるのまで羽田にいたら突然テレビが緊急放送、北朝鮮がミサイルを打ち上げたという。確か今朝方不備が見付かったので打ち上げを延期すると報道されたばかりだったはず、とても滑稽に思えるのと大変な國と隣り合わせに暮らしているのだと背中が凍りつく思いだ。
別府は静かな町だ。付いた途端に講演、継いで夕刻から懇親会。
温泉街と言うことだが、矢張り景気の良さはどこに言っても感じられない。
温泉はとても有名な所なのだが、もはや全館暖房などとは何時の時代のことか、湯船に入り町のネオンがながめていたが何だかさみしそう。
キャノンの派遣社員が大勢いたときの賑わいが今は無いという説明を受けた。
時代をしみじみ感じる。
12月13日(木)晴れ
帰京。
12月14日(金)晴れ
何でも来年にNHKの番組が決定したという。
どんなのが出来ることか愉しみ。
12月15日(土)晴れ
夕刻、宇野誠一郎さんの音楽会。今日は小沢昭一さんの葬儀、失礼させて頂く。
宇野先生の会で熊倉一雄、黒柳徹子さんと同席する。何十年ぶりの再会、とても複雑な思いと同時にみんなみんなお年を取っていくのだと実感する。
小沢さんの話をしながら宇野先生の生き様を想った。
「音をさがしにいく」とバイクで夜の町に出る先生を懐かしく思った。
清潔な人だった。里見京子夫人はけっしてロマンチックな人では無かったとご挨拶なさったが、音楽の中で「頭痛肩こり樋口一葉」の中の「私たちの心は穴の空いたいれもの」という歌には思わず涙がこぼれた。あれは沖縄の本の中からヒントを得た詩だった。
井上さんと嗤いながら創っていたのが曲によってすばらしい歌になった。
私たちは「バケツの歌」と呼んでいたのだが、宇野さんの人生観がすっぽり入っていたのだろう。