3月7日(月)雨
今日は誰からも忘れ去られたような一日。こんな日は電話も鳴らない。
一年に何度かこんな日がある。朝から夕方まで原稿書き。
3月8日(火)雨
西和賀から荷物が到着。山菜や味噌が荷物の間から緑の色を覗かせている。
伊藤さんが午後来訪。夕刻木下晋さん来訪、一緒に食事をする。
画家の力量も天才なら、木下さんの生き様もまた天才的だ。多くの人にドラマは存在しても、地獄を見る人は少数だ、しかもそれは選ばれた人としか思えない。
楽しい話題に終始、本音を言うことができるいい友がいる、そんな宴だった。
3月9日(水)晴れ
地震があった。
今日は常務理事会、諏訪さんが早くに来られて、「薩摩盲僧琵琶」連載の打ち合わせ。
一緒に藤原書店「催合庵」まで出掛ける。小林会長もご臨席下さり、充実した打ち合わせとなった。
子守唄は今までぼんやりとしか捉えられなかったが、その力がどれほど大きなものであったかを理解し、広めてきた事が、組織の中では利用しようという動きもある。それらは許し難いと思うが、設立10年を過ぎ、是正していくに良い機会であると受け止めている。終わって懇親会、内村鑑三の話も出ておおいに盛り上がった。
常田富士男さんより便り「つららの坊や」喜んでやっていただける事になった。
3月10日(木)晴れ
午前中、民族音楽協会にて打ち合わせ。
夕刻、品川プリンスホテルにて打ち合わせ。
3月11日(金)晴れ
昼、京都着。則武会長、三浦さんと一緒に青連院まで。
「子守唄の会」の打ち合わせ、夕刻、堀川音楽高等学校に大江校長を訪ねる。
ところが、ところが、「大震災」マグニチュード8・8という巨大地震。
これで世界中の意識が変わるに違いない。自然の驚異に人はかなわない。
夜、早くにホテルに帰り、報道を見る。
何にしても命は守られるべきです。そして、幼い子を守ってあげるのが大人の仕事です。この際、仕事仕事と言っている人たちは、この世にたった一つしかない命は、こうしていつも危険にさらされていると知るべきです。
3月12日(土)晴れ
午前中、佐原一哉さんとお会いして帰京。
震災のすごさに胸が詰まる。
政府の記者会見、説明と弁明と形容詞だけの言葉にどれほど真実と人間性があるのか疑問です。