4月12日(月)雨
激しい雨の中、東京支部の幹事会に出かける。
今日は「バードハウス」の件で井筒さんの講演が予定されている。
子守唄協会の活動を応援して下さっている皆さんのおかげで、活動は広がっているという感謝のきもちでいっぱい。しかし、この機会にこそ、子守唄協会の理念を確認していきたいと思った。どこにでも手が伸ばせる運動だ。言い換えれば、理念が無くても活動だけは限りなく広がりを持つ事が出来る。広がるのを規制は出来ないし懐を広くもてという松永伍一先生の教えは、時とすると現代では難しい。子守唄に関して協会は狭い意味の我が物といった考えはない。むしろ、心の広報事業の核を失わないで行くことが、あああの協会の事業か、といった永続的なステータスと自負を持ちたいと我が身にも言い聞かせている。長崎、大阪、群馬から、子守唄協会を創りたいという話をいただいた。行かなくてはわからないだけに、ありがたいという思いと同時に慎重にしたいと考えている。井筒さんも同じに考えていたらしく、なぜ日本子守唄協会が「バードハウス」と取り組むか、という根底をしっかり考えている人と、ささやかな事業を出発させたいと考えている。さすれば、理念に多くの組織が賛同して、事業化になると言う。 二人でゆっくり食事をした。20代の頃より、いつも井筒さんは私の先生だ。負ける戦はするな、と私は教わった。芝居を必死に創っていた時代が懐かしい。
帰ったら弔電がきていた。井上さんの死去は私には遠い昔だが、ご冥福を祈るのみ、ただし、都と綾のふたりの娘が病気から死に至るまで一度も父親に会うことが出来なかったのは、腑に落ちないし、残念だ。
4月13日(火)曇り
何とか、毎日暮らしている。
ららばいの冊子出版について打ち合わせ。
古本屋で買ってきた本を整理する。
夜、家に週刊誌の記者がいらっしゃった。
取材はお断りした。娘達のところへも来たという。
4月14日(水)曇り
明日からまた冬に逆戻りとか。
この時期の天候不安定で亡くなる人が続出している。
自然の破壊は人の生命をも脅かしているという事か。
先夫の訃報のためか、気を使って下さる方がいらっしゃるのか、ぽかんと空いた時間がやってきた。いつも、運命が変わるときにやってくる静かすぎる眠りの時間だ。
メールもこないし電話も鳴らない一日となった。又、その時期なのだろうか。
潮が引くように、という激しい変わり目にこれまで何度遭遇してきたことだろう。
夕刻、吉野女史が来てくださって、印刷、企画、の話をする。仕事の出来る女性に逢うのはとても楽しい。
夜、事務所のみんなと飲んだ。
新門先生と長電話をした。富山で飲んでいるらしい。
4月15日(木)雨
今日も何とも静かな一日だ。ロスの三島えい子さんから電話。
「あなたの周囲がざわめいているのが見える。ロスにおいで」三島さんはご主人の死後、精神診療士として勉強している。スポニチ支社長でもあった。なぜか、霊能力を持っている。アメリカもいいなあ。
井上ひさしさんの死去の報で、街で会う人がそろってご冥福を、と声をかけてくれる。
複雑この上ないが、娘達の心情を思いやると、母親としては、まさにほぞをかむ思いだ。最後まで、姉妹が仲良くいてほしかった。
4月16日(金)曇り
盛岡の友人夫婦がそろって癌になったと報告を受けた。
元気に闘病生活を送っているという。奥さんは最新の医療より、自然療法を選択したという。末期でも、回復する人もいれば、宣告と同時に亡くなってしまう人もいる。寿命というのは誰かが決めているものか、神のみぞ知るというものらしい。
今日はウクレレの練習日。江戸の子守唄を練習する。終わって、家でお疲れさん会、飲む。寒いこともあったし、週刊誌の方が待っていたりという事もあり、気後れして、外出を控えた。
4月17日(土)雨
本当に寒い。アイスランドの火山が爆発して、欧州の飛行機は欠航。気象は世界を回る。この影響はやがて日本にも現れる。
この寒さで野菜は高騰、久しぶりに鳥越のおかず横町まで買い物に行く。
夜は相変わらずホームズとアガサクリスティーのテレビにかじりつく。
夜中、次女の綾から電話、父親の見舞いが出来なかった事、生前にあえなかったことで自分自身を責めている。かわいそうに自分も生きる価値がないという事で精神不安定でいるようだ。次女の泣くのに、こちらも、もらい泣き。どんなに断られても行くようあれほど言ったのにと、ついつい愚痴もでる。「ままが死んでくれたらよかったのに、だつたら、好き勝手に生きた人でした、とあきらめもついたのに」と最後は八つ当たり。しかし、親の死に実感が持てないという事がよくわかる。
朝のみぞれは時に激しくなり、花冷えの春の異常な天候にみんなうんざりしているようだ。