3月1日(月)晴れ
とても寒い一日だった。熱を出して寝ていたが、テレビの取材の申し込み、「虐待」を取り上げるという事で跳び起きた。長い取材だった。
十周年記念祝賀会にご参会いただく皆さんの数はまもなく 200名を越えるとあってうれしい。
しかし、それにしてもなんとしつこい風邪だろう。結局何となく起きていて、風邪のぶり返し。
3月2日(火)曇り
午前中、小笠原先生へ。気管支炎ということだ。
橋本泰子さんが、オレンジリボンを届けて下さる。メイトの取材を受ける。
午後、首藤さん「ララバイスタジオ」の図面持参、いろいろ検討をかさねる。
共信商事の松本社長来訪、飲みに行く。今の印刷業界の不景気の話がつづいた。浅草橋の飲み屋に入るが、なんと客は私達のみ、なんだか、世の中が変になってきた。
原先生子守唄教室。
3月3日(水)曇り
朝、「スッキリ」という番組で取材を受けた児童虐待特集の放映。熱のあった日の録画で、ひどい顔をして出ている…。それより、この問題が、より広がっていき、あらゆる社会から不幸な子ども、ひいては不幸な親がいなくなることを期待したい。
今日は松永伍一先生の三回忌だ。
日が経つことは、なんと早いのだろう。
一昨年の今日は、「竹田の子守唄」の取材のため、京都伏見にいたことを思い出す。
小倉知香子さん来訪。チラシを届けて下さった。
風邪がこんなに直らないという事に身体の不安を感じている。会う方達が、長いのよ、と異口同音に同調してくれるのでそんなものかとは思ってはいるが、いかんせん長すぎる。早めに帰って床についた。
3月4日(木)曇りのち雨
磯崎の母、風邪の薬を、お茶を早くに届けて下さった。
放送作家協会の香取さんと打ち合わせ。市川森一先生からは、今、熊野古道を歩いていらっしゃるという電話をいただいた。先生は本当にお元気だ。
喜多さんと打ち合わせ。少し長い話をする。
3月5日(金)曇り
横浜シェラトンホテルにて横浜のスミセイ子育てフォーラムの打ち合わせ。齊田会長、私と同じになかなか風邪が治らないらしい。「私たちお互い風邪も直りにくくなったね」と同情し合う。
それにしても横浜という場所はなんと洒落た たたずまいの街なのだろう。あらためて私も若かったら、こんな街に住んでみたかったと思う。
3月6日(土)雨
南会津田島まで。
会津うめぼし会に行く。チャイルドの浅香社長の車で米野さん、多美恵と一緒に出かける。寒い。風邪のぶり返しを心配していったが、どうにも持ちこたえられないので懇親会は欠席してしまった。常田富士夫さんと一緒だが、こちらも今朝になって東京の夫人が倒れて一人で車を飛ばして見えた。常田のお父さん、心なしか元気がない。
3月7日(日)みぞれ
寒い寒い。
午前中に文化会館まで。一時からうめぼし会、なんとまあ、元気なことか。
「梅干し音頭」に始まって、「如括(じょかつ)音頭」、そろいの着物で平均年齢75歳という高齢、このパワーには圧倒される。
みぞれが雪になるかもというので、早々とかえることにする。南会津の山々はまだ春にはほど遠い。
3月8日(月)曇り
風邪はとうとう気管支にまで到達、咳が止まらず、寝ると熱が出る。
おまけに昨年調べた血液に異常があるやもという報告が、今頃きたので気分は最低。…というときに限って仕事が忙しい。義理もある。
3月9日(火)曇りのち雨
最低の体調
3月10日(水)曇り
今日こそ休む。なんと孫の桜子がきた。久しぶりに会う。桜子も風邪気味というので私のようにこじらせては大変とすぐに医者に連れて行く。きれいになっていくのはこの年齢だ、何を話しても楽しい。
3月11日(木)晴れ
11時から参議院議員会館にて公明党の皆様に「児童虐待」の話をする。
池坊さん、松さん、皆さん変わりなくおきれいだ。ただ、浜四津敏子さんは、あいにく風邪でお休みとか、ここでも流行しているのかしら。
3月12日(金)晴れ
夕刻書道家の春閑さん来訪。
風邪が治らず小笠原先生へ。完全に気管支炎となった。
3月13日(土)晴れ
病院で胸部と消化器の超音波検査。調べてみると何もないけれど脂肪肝があることが判明、さもありなん、こんなに飲んでいるんだから。
しかし、何もないという事で一安心。
3月14日(日)晴れ
午前中、義兄の見舞いに女子医大まで。腸の大動脈瘤の二ヶ所を手術したばかりというのに、四日目の今日、元気に食事をしているのにはびっくり。私のほうが具合悪いようにも思える。