4月20 日〔月〕晴れ
日本でもっとも忙しいという方に限って、なんとまめで配慮がいきとどいているのだろうといつも感動し、わが身の反省としている。
湯川れい子さんより理事会欠席のお詫びの葉書が明るい湯川さんの写真と一緒に届いた。
また、なんと森喜朗元総理に、日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟の会長という関係で資料をお送りしたばかりの数日後には、ご丁寧な自筆のお便りをいただいた。
すぐにお礼状を書くという習慣は日常によほど鍛錬していないとできないとしみじみ感じた。
6月14日(日)江戸東京博物館ホール「人生は子守唄にのって」チラシが決定した。
4月21 日〔火〕曇りに後雨
朝の新幹線で仙台まで。宮城農協の講演会。
子守唄の話をする。
たいていの方には子守唄がそれほど大事か理解のほかだが、人ができていく根源にあるという意味では「米」となんらかわりがない。
小雨がぱらつく中、多くの方が聞いてくださった。
4月22日〔水〕晴れ
寒い日だ。
午後、娘とご飯を食べる。
彼女にふって沸いた事件、離婚した夫からの養育費の減額通知が舞い込んだ。
長いローンで家の購入が一段落、二人の娘の私学への入学が決まったところでの瞬間だけに、彼女の狼狽と困惑は顔を暗くしている。「家を買ったということで、何だこまっていないんだ」と思われたのかもしれないという。
日本の離婚では実際子供への責務を全うできる男は実に少ないということだ。
公私共になんとも忙しい。
風邪がひどく、夜熱を出して寝込んでいたら、原先生から電話。なんと何と、私は大変なことを忘れていた。今日、わが協会の松永伍一先生の偲ぶ会があったのだ。
「ぼけ」ただただ平謝りに謝って手帳を見たら、24日と予定に書いてある。次が土曜日でゆっくりやるのだと、頭から信じてしまっていたらしい。
4月23日〔木〕晴れ
午後1時、読売新聞社へ小林登先生と一緒に老川社長を表敬訪問。
帰りに読売巨人軍の袋に入ったスカーフをいただいた。今年のラッキーカラーとあってなんだか「ツキ」をいただいたようでうれしい。
夕方6時からは日本子守唄協会の理事会、23名の理事の皆様がお忙しいのにご出席くださった。
4月24日〔金〕晴れ
孫を連れて藤原書店、藤原社長にお会いする。
書店の活気が一段と勢いを増してきたように見える。
もろもろ話をして、本を買ってきた。「蘆花と愛子」もう一冊は森崎和江さん。いい本を出している。鶴見和子全集を注文してくる。何を考え、自分のこととして実際に行動してみる、その大事さをいつも藤原さんから学ぶ。
夜、東祥三さんと飲む。
4月25 日〔土〕雨
本降りの雨、昼まで愚だ愚だと床の中で、本を読んでいた。夕刻、影山先生来訪。「枡源次郎」という人の研究に興味を持った学生が卒論のテーマとしたいということで、連れて見えた。資料を見て、「大東亜共栄圏」の話題に及ぶ。無論学生さんのほうはまったく知らない。歴史がつい隣にある。
東さんに影山先生を紹介する。
夕刻、雨がざぶざぶの中を食事に行く。
話題が盛り上がって、結局今日も外食となった。