3月17日〔月〕晴れ
昼、鬼怒川より帰る。
3月18日〔火〕晴れ
10時、文科省まで。大臣官房審議官で生涯学習政策の担当の方とお会いし、子守唄の話をさせていただく。以前、選挙の折にお世話になった渡海紀三朗さんが現文部大臣、お部屋においでになるということで、短い面談がかなった。「あれから、何年経つかなぁ」過ぎた日はあまりに早く記憶を辿る。相変らずあたたかく気さくなお人柄で、私の帰り際、ふかぶかと頭をお下げになる姿に恐縮してしまった。
帰って常任理事会、松永先生の「偲ぶ会」の相談をする。大仰にはしたくないという先生の意志を汲んで密度を濃く、小規模で出来ないものかと相談がまとまりかけたが、念のため、一度専門家に話を聞いていただきましょうということで終わる。その後飲んだ。
3月19日〔水〕くもり
昼のANAにて羽田より福岡経由で五島福江空港まで。小林登先生とご一緒。
飛行機は大揺れ、下界の景色が大きく左右に揺れて見える。低気圧が来ているという。
五島に着いてそのまま、交流会、五島市の中尾郁子市長をはじめ、この島の文化活動に関係のある皆さんがお集まりくださった。ここまでの道筋をつけてくださった小林美智子さんが「子守唄」への熱意を話してくださった 。
岐宿の子守唄という名曲がこの地にある。三年奉公の子守娘の唄。
「この唄を選挙のテーマにと言うこともあったのですが、あんまり辛い辛い唄ではねえぇ」と市長さん。しかし、子守唄の聞こえる街づくりを提唱してくださっている。
3月20日〔木〕晴れ
福江文化会館にて子守唄の会が午後一時から開催された。この会はシーボルト大学の主催で行われ、一部は対談とフォーラム、二部はさまざまな演奏会があった。アメリカに14年もいて活躍しているキーボード奏者の奥本亮さんがこの島に魅せられて、住んで音楽活動をしようという計画を立てている。奥さんが二胡の奏者で二人の今後はとても楽しみ。
五島で椿油を買う。帰りもまた飛行機は揺れた。
3月21日〔金〕晴れ
朝、ダイヤモンド社冨田さんと、やっと相田みつおさんと子守唄の本の概要が見えてきた。何と3年もかかったことになる。
13時30分、産経新聞社住田社長に面会。唱歌のことでお願いごとをする。
帰ってきて、セレモアつくばの宮地さんと打ち合わせ。協会のスタジオでの偲ぶ会の開催には無理があるのではないか、という感想を述べられた。
17時青木新門さんと待ち合わせて一杯飲もうという約束をしていた。青木さんには一日東京滞在を延ばしていただいたのに又、ちょっとお待たせしてしまった。
「柳橋」までおいで頂きさらにご馳走になってしまった。
画家の木下晋さんも同席してくださり、また、インドのT・P・パンディ氏、東祥三さん、宮地さんと駆けつけ、なんだか大宴会になってしまった。新門さんの著書「納棺夫日記」の映画化が決定したという。楽しい宴会だった。
3月22日〔土〕晴れ
「いのちふるさと講座」
今回は石井正己さん、遠野博物館館長もなさっていらっしゃる石井さんのお話は「遠野ものがたり」をベースに始まった。ここでも伝えたいこと、経験からの叡智、自然界との共有を物語がいかに持ち合わせているか、を見直したいという熱意を感じた。奥様の季子さんもご一緒してくださった、
午後は市川森一さん、先日なくなった松永伍一さんの話。今私たちにとって何かが失われてきた。忘れ物をさがしにいく感じが大切。お母さんの思い出にまつわる話では、思わず涙が出た。若くして亡くなった母親との別れ、見舞いの思い出はいつまでも忘れることの無い宝物になっている。きらきら輝くと言うよりほろ苦く、贖罪を背負う思い出だ。
現代と言う魔界の中でいかに人が人らしく生きていけるか、この講座の骨が着々と出来ていく。奥様の美保子さんより「マイ箸」を頂く。いつも何かと心遣いしてくださる。
3月23日〔日〕晴れ
朝11時の新幹線で越後湯沢、乗り継いで富山まで。高井進先生の出版記念会へ。300人ほどの出席者の皆さんは富山を代表するそうそうたる顔ぶれ。私のお隣は市長の森雅志氏と中沖豊前知事、そのお隣は楽しい新潟の高井進さん、高井先生と同姓同名というご縁で乾杯の音頭は面白かった。富山新聞社の宮本代表ともお会いできた。青木新門さんもいらしていて、「男ってね、はにかみっていうのが一番大事だよ」としみじみおっしゃっていた。確かに強面の高井先生にははにかみがある。人間ははにかみがないと、と思った。