3月4日(日)晴れ
9時、岩井沢家に出発、曲り屋を改装してイベントができるようになっている。
保育士の皆様が参加してくださった。昼に終わって、そのまま、迎えにいらした遠野の菊池武彦さんのバンで遠野まで。やはり、二時間弱はかかっただろうか。
途中、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の舞台となったところを見学。
ついてすぐに今度は遠野の「子守唄の会」たまたまお客様に津軽の方がいらっしゃったので、急遽「津軽の子守唄」を原さんに振ってみた。無論、大喝采、ライブの良さを再認識する。みんなが町を見学している間、遠野市長の本田敏秋氏と対談。夜は懇親会。
ホテルで、テープ起こし。
3月5日(月)晴れ
午前中、子守唄のメンバーと別れて、電通磯和、三浦両氏と行動をともにする。
市役所で会議、市長を表敬訪問して、ちょっと雛飾りを町屋でのぞいて、盛岡まで。
盛岡県庁で又会議、次いでJR盛岡まで、また会議。磯和さん達は又、遠野に行くというのを、私はさすがにへろへろなので申し訳ないが帰京することにした。
寒くなったように感じた。東京は驟雨。
3月6日(火)晴れ
何しろ、「正論」の原稿がぎりぎり、頭を振り絞って書き始める。連載をもつありがたさとしかし、日のたつ早さの勝負をしみじみ感じる
13時「日本会議」のインタビュー。
19時 トイざラスの小寺社長と菅沼さんと川崎にて食事。
3月7日(水)晴れ
午前中「正論」原稿を入れる
14時、由紀さおりさんとの対談で品川まで。
相変わらずお美しい。ここまで来るにやはり、大変だったことがよく分かった。
面白い人だ。帰ってきて、壱岐の子守唄フェスタの原稿、短文3つを送る。
3月8日(木)晴れ
明日のイベントの準備。やっと会津の礼状を書き送る。
午前中、小笠原医院に。
3月9日(金)晴れ
内幸町「男たちのララバイ」本番の日。 15時より舞台稽古。アンサンブルテラの10名、ノーブランズの3名、原荘介さん、川口京子さん、稲村なお子さん、長谷川芙佐子さん、そして、齋藤寿孝さん、楽屋は大にぎわい、会議の終了後その足で駆けつけてくださったゲストの山折哲雄先生、NHKの大河ドラマの収録後にとんできてくださった藤村志保さん。なんと河竹登志夫先生まで登場して、子守唄の会は中から感極まった感じ。最後の川口京子さんの「ヨイトマケの唄」では親子の絆が集約されたのでは、というほど静寂の中に感動があったと思った。議員連盟の鈴木寛さんは「竹田の子守唄」を。子守唄という時代のキーワードをこれからどう広げていくか、「いいことをしていますねえ」という言葉の応援だけでなく、参加をした誰もが、これをどうひろげ、どう魅せるか、が又、問われてきた。
3月10日(土)晴れ
昼、亀有まで。1時半から講演。その足で、上野まで。新幹線で長岡へ。
長岡の新潟日報主催の「ふるさと 心の子守唄」の前のり。
懇親会に出席、多くの応募者があって吃驚しましたという主催者側の話にほっとする。
柏崎に続いて二度目。出演の山谷初男さん、川口京子さんと一緒。
帰りしなぱらぱらと、雪が舞っていた。
3月11日(日)曇り
寒い。午前中の舞台稽古。1600人もはいるという劇場。
スタッフに支えられて、無事に幕は開いた。ほぼ満員の観客に感動。
考えれば、一昨日とは違って、出演者も少人数、どんな感動を伝えられるか、でも、終演後の多くの方の感想が好評でほっとした。新潟日報さんにも喜んでいただけた。
直ちに帰京。「雪がない新潟、なんだか気持ちが悪い」という言葉を至るところで聞いたが、その夜から大雪になったという。