2月19日(月)晴れ
秀敏(シュウミン)さん来訪。二胡の奏者、事務所に「五木の子守唄」が響いた。
子守唄を演奏したいという。こうした志の人がどんどん増えてくれると嬉しい。
2月20日(火)晴れ
サウンドマン鈴木さん来社。打ち合わせ。
せっかく秘書としてやってきてくれた中臺さん、風邪をこじらせたという。正直いってこの事務所の多種多様の忙しさは3日も休むと、手がつけられないという状態。
私とて、袋貼りから追われている始末。困ったものだ。
2月21日(水)晴れ
午前中リーフレットの打ち合わせ。13時電通池田さん、磯和さん来訪、15時石橋さん、名古屋の加藤社長と来社。ネットテレビの話をする。花粉症で医者に行く。
2月22日(木)曇りのち雨
10時全日空会長室へ打ち合わせ。12時雪之丞さん達見える。
13時、舞台監督の森さんと打ち合わせ。14時ハイビジョン映像の水野社長来社。
そうこうしている間に「正論大賞」授賞式に出席叶わず、あげくに野村さんとの約束を大幅に遅れて広尾の「露地やま祢」にふぐをごちそうに走る。野村さんはもともとイギリスのBBC出身、政治や時代の話をいつも勉強させていただいている。
今日は、あわただしい中に母が来る。これから毎月一回、我が家で医者にかかるという行事が増えた。時間を小刻みにして、自宅と事務所を往復母の相手をする。
2月23日(金)雨
午前中から書類の作成。明日の九州での会の草案作り、
午後「男達のララバイ」の台本作り。諏訪さん来社パンフの作成。
DVD「日本の子守唄」のサンプルできあがり。30個ばかりを送付した。
明日から3泊4日の九州の旅。行ってきまーす。
2月24日(土)はれ
8時30分ANAにて福岡まで。NHK福岡放送局まで直行。
JR九州の石原進さん、福岡県中小企業経営者協会会長の小早川明徳さん、NHK福岡局長の三浦元さん、それにオッパイ大学の平田喜代美さん、とシンポジウム。司会と進行は私と作家の市川森一さん。市川さんに助けられて、つつがなく終わる。
終わった後は、本当に誰の顔もがにこにこしているように見えた。
終了後、台湾から陳さん親子がいらしていて、子守唄の採譜と唄を収録させていただいた。
昭和15年に校長先生が作って教えてくれたという「メイメイベイズヤンワーワ」という子守唄。台湾はそれまで日本の子守唄を歌っていたそうだ。「昔のは?」とご主人の林桟さんに伺ってみたら、やはり中国の「揺籃曲」を唄って下さった。
夕刻、列車で八女まで。八女の橋本さん宅に泊まる。列車は人身事故で一時間も遅れた。
2月25日(日)はれ
高速を通って八女から長崎まで。長崎県美術館でのシンポジウム。
今日は女性ばかり。九州教具の船橋佐和子副社長、県子ども課の大串裕子さん、子育てネットの西川英恵さん、長崎少年少女合唱団の城下さんがご参加してくださった。相変わらず、市川先生の構成力と話術に助けられた。
6時に終了。なんと忙しいことだったことか。ゲストコーナーでの、少年少女合唱団の皆さんはじめ出演者の出入りの段取りができず、この先の課題となった。
その足で、途中食事、駆け足でフェリーにのったときは、本当に心臓がぱくぱくした。
11時過ぎに壱岐に到着。平山旅館にてゆっくり温泉につかって眠る。
2月26日(月)晴れ
平山泰さんに取材。午後舞台監督の森正夫さんと合流。平山宏美さんと、現地の音響の齋藤さんと打ち合わせ。壱岐実行委員会の皆さんとそのまま会合へ。私は合間を縫って壱岐に嫁いできている、韓国、中国、フリィピン、の女性達に子守唄の取材をする。
いずれも単純なメロディー。子どもが生まれたら、知らぬ間に口を継いで出ていたという。慰められたり、母親を思い出すときにも唄っています。とても素直な話しぶりに、他国に来ているのに、とこちらがほろり。結局夜中まで話は進んだ。
2月27日(月)晴れ
9時10分高速艇にて壱岐から福岡まで。福岡から、又、タクシー駆け足でANAで東京まで。事務所まで一直線。あわただしい毎日だ。
なんと、安倍総理ご自身から電話。子守唄の話を。
実際韓国も、中国も、ベトナムも国を挙げて子守唄の収集に入っている。人間の原点に今一度目を向ける時期に、地球が来たのかも知れない。いや、人類に。
九州での小早川さんの言葉を思い出した。「これからは、利潤ばかり追っていた企業では済まなくなった。人作りをどうするか、その原点こそ見直されるべきだ」と。
そして、石原社長「人作りは先ず褒めることから全ては始まる、子どもは褒めてこそ、伸びる」とも。
2月28日(火)晴れ
事務所は大忙し。あまりの忙しさに昼ご飯を食べる時間も忘れる。午前中姫路から打ち合わせに。午後はリーフレットの作成準備。松戸の菊池さん来訪、とひっきりなしに電話と来客。明日からは又、旅が続く。
3月1日(水)晴れ
11時から市川市で講演会。市川は私が20年も住んでいたところ、懐かしさもあるが、この講演会を企画してくださったにもかかわらず、市は全く関係ありません、という姿勢が哀しかった。前夫が市の名誉市民であるということと、私たちの離婚という間には、余人の全くはかりしれないこともあると思うが、やはり、担当の方はやりにくかったようだ。
急いで帰ってきて、16時の東武鉄道で会津田島まで。田島では町の有力者の皆様が待っていてくださり、南会津酒造の当主の渡辺文一の蔵の座敷で「いろり談義」をした。皆様の人間としてのレベルのなんと高いことか、町をどう活性化するのか、文化をいかに取り入れるのか、といった話に華が咲き、本当に楽しかった。宿は、会津のコテージ、物音一つ聞こえない。
3月2日(木)晴れ
空気の澄んだ中で目覚める。午前中会津民族村のご案内を頂く。曲がり家ではその寒さに震えたが、昔の文化が温存されていることに吃驚。館長さんの丁寧な説明がありがたかった。10時南会津「田島保育園」にて子守唄の会、駆けつけた稲村なおこさん、ピアノの正木さんと一緒。
その後は、前沢まで車移動、山をぐるりと回ってほぼ一時間弱。藁葺きの家が点在している集落。ここに「子守唄の館」が作れないかという計画。子どもの文化拠点の一つにしたいという案が持ち上がっている。雪をざくざく踏みしめる。
帰り、民話の語り部、星フキ子さんの取材。84才のフキ子さんの声の張りと語り口が人となりによく現れている。帰りしな、冗談から駒が出て、町のお風呂をいただくこととなった。
町営の「弘法の湯」里の中のコンコンと湧き出した湯に入り、あぁ私がもっと若かったら、もっと仕事ができたという感慨にふけった。夜は町の主催の懇親会、湯田町長を囲んで南会津のお酒はとてもおいしかったです。山村道場のコテージで眠る。
3月3日(土)晴れ
南会津文化会館での「ひな祭り子守唄コンサート」原荘介さんも一緒。早くに場当たり、稽古をして待機。知り合った方が楽屋を訪ねて下さり、楽屋は甘い物の山。
会は町の多くの方が参加下さり大成功。子守唄の楽しさ大切さは多くの方に伝わったようで、皆さんが笑顔と讃辞を下さった。ほっとした。
大急ぎで移動。今日は盛岡泊まり。南会津の渡部政昭さんに車で郡山まで送っていただき、盛岡まで。盛岡ロイヤルホテルでは理事の赤坂みどりさんが迎えてくださってご馳走になった。なんとまあ、忙しい日程か。明日は滝沢の岩井沢家で子守唄の会、それから遠野に入る。