11月6日(月)晴れ
今日から諏訪恭さん出社。
八塚さんは銀座のワインショップに転職、母親の病気で急遽家の酒屋の跡取が決まり、まずは帰郷する前にお酒の修行とソムリエの資格をとる為の転職。
家族の介護というのが子にかかる時代だ。
夕刻、藤原書店へ。今日はフランスの作家ダニエル・ペナックさんをお迎えして「ペナック先生の読書法」のミニ講演と朗読、まだ出来たての「催合庵」(もあい)にてに参加。
帰り際、ブックオフにて、西村京太郎の文庫本25冊買ってくる。
11月7日(火)晴れ
午後、ユニ通信社のインタビュー。野本誠一さんが丁寧にして下さった。
「子守唄研究会」昼の会では宮崎県の子守唄。
夕刻石橋さんが来訪。ホキ徳田のことを気にしている。彼女の夫ヘンリーミラーの画の行き先の心配だ。画はなかなか今となると買い手はつかない。友達としてホキは面白いし楽しいが、傍から見れば私達は十分生きた老人に違いない。行き先はお互い不安で厳しい。
11月8日(水)晴れ
渡辺千草さんからの学校の先生のいじめの相談を受ける。
2年前からの問題がまだ尾をひいている。私立小学校の62歳の女教師による虐めの実態は2年の間に子供の問題を通り越して学校側と教師対母親の対立に発展してしまっている。子供はチック症から精神の不安定でカウンセリングを受けなくてはならなくなっている。
市川市の教育委員会は私立には関与できないという。結局私立の学校の方針に添わなくては転校しか解決が無いという。しかし、とても心配してくださる相談の先生が県の学事課を紹介いただけた。学事課の担当者はとても親身で「警告」という形で学校に通達してくれることとなったがどれほど効果があるか、少し様子を見ることとする。
「何故自分が悪くないのに学校を辞めるのか」という理不尽さに電話口で泣いている子供のこころを思いやる。
ところで孫の駿太郎が風邪のため今週ずっと登校していない。心配だが今のところいくことが出来ないでいる。
11月9日(木)晴れ
14時原荘介さんの事務所で『河童おおさわぎ』の挿入歌『座敷童子の子守唄』を原恵一監督と関係者一同で聴いた。
夜新宿末広亭にて宮田章二師匠と会う。富山の売薬やの話を創作していただくお願いにあがった。高座を3本見てきた。
ミネハハさんと久しぶりに話した。来年はミネさんとしごとをしたい。
11月10日(金)晴れ
ほんとに物忘れがひどくなった。
15歳になる姪の娘に卵巣脳腫が見つかり、早くに手術の必要があるというので、理事の大田先生に相談、結局15歳という思春期年齢を考えるとそういう子を臨床で多く扱っている病院が良いということで、生育医療センターの小林先生のお手を煩わせてしまった。・
それにしても現実に病気ということが突然来るとうろうろし、恐怖が先に立つのが普通の人の感覚だ。日常はまさに紙一重、不安との戦いということに何ら打つ手は無い。
虐めがこんなに大騒ぎになっていても、私学には何ら手が出せないということすら皆分かっていない。薄氷の中に日常がある。
今日はわらべ歌の伝承教室の日、夜は『歌人会』これには参加。2時間唄いっぱなしでちょっと疲れた。
母をたずねる。真っ暗にした部屋でぽつんと寝ていた。「なにもする気が起きない」という。
一緒にご飯を食べてくれる人がいないということがつらいらしい。
11月11日(土)雨
大雨、台東区子守唄教室の最後の会。お子さんが30人ほどという話だったが、実は皆赤ちゃん、熱心なお母さんと中には若いご夫婦も何組かいらしてくださった。何しろ半端ではない雨なので心配したがここでは地域の密着度が良いのか、集まりはまったく問題がなかった。子供が多いというので遊び唄を中心にするプログラムを作成したので急遽変更。
お母さん達は山口巌さんの持ってきたさまざまの民族楽器に興味があり、終わってもさまざまに質問していた。
夕刻、娘の家に。亡くなった主人の49日。日が過ぎるのは早いが、娘はまだ鬱状態から脱していない。孫三人泊まりに来る。
11月12日(日)
ヤクルトホールに「古謝美佐子さんの夕べ」を見に行く。
竹田の子守唄の皆さん、解放同盟の外川先生も京都からいらっしゃていて、唄う婦人部の皆様に紹介してくださった。竹田の子守唄の研究家、藤田さんもこまめに御世話をしていて、こじんまりした会。差別を自然に理解させることの難しさをしみじみ感じた。
今年一番の冷たい木枯らし。