9月4日(月)晴れのち雨
来年の「壱岐の子守唄」の打ち合わせのため、壱岐より平山さん、入江さん来訪。
大変な散在をしてくださって壱岐の鍋をご馳走になる。柴田美保子さん、産経の有川さん、本図さんなども参加して楽しく頂いた。
午後一番で、今日から就職試験の面接に入る。
14時、東京ビデオセンター林さん、村上さん打ち合わせのため来訪。
夜、NHK「渥美清の肖像」をみる。生前渥美さんは自分のことを「天井見の渥美」といっていた。暇があれば空を見ているというのだ。小沢昭一さん、谷幹一さん、それに私の前夫の井上ひさしさん、今となれば浅草で何度か食事をした思い出が鮮明に記憶に残る。明らかに病気と分かる晩年の顔、いつも物静かだった渥美さん。そうだ山田洋次さんに産経の「唄いつぐ」を書いて欲しいと、即、山田宅に電話をする。奥様が「あなたはいつも元気ね」と。そんなことないのに。
9月5日(火)晴れ
13時、台東区役所に。子育て支援課に挨拶してから吉住区長室へ。釈行智のこと、来年度の事業の中に何とかこの人の研究に取り組んで欲しいという話など諸々する。区長は相変わらず目をきらきらさせて笑っていらした。
14時「日本の子守唄」の会の音楽打ち合わせ。原さん、正木さんとの音楽の打ち合わせ。
15時、共同通信・朝田さん来訪。特集欄の打ち合わせ。松永伍一先生に登場いただきたく久しぶりに電話。「子守唄百選」いい仕事をしましたね。と誉めていただいた。何よりうれしい。
しまなぎささんと子守唄作詩の教室設立の打ち合わせ。
今日は子守唄教室、昼、夜。今日は岩手県から出発とか。
受講者の間で子守唄の作詩作曲が交換されるなどと会も発展していっている。
終わったのは21時。原荘介さん小林誠子さんとおそい食事、ビールおいしかった。
9月6日(水)晴れ
午前中募集の方々の面接。今回の面接は興味本位や学生気分のままという人が一人もこなかった。ありがたい。
14時電通テックで打ち合わせ。アニメのなかで使われる子守唄の作成についての話し合い。原恵一監督の趣旨が良く分かった。
そのまま亀戸の「馬目」へ。東祥三さんと会食。二期落選の憂き目を見た東さん、この間の浪人の過ごし方というテーマでただただ勉強と遊説に奔走している。
新渡戸稲造への傾倒もさることながら、外交問題の提言に真摯な政治家の姿勢がいつも伝わってくる。政治家としての東さんは本当に立派だと思う。
東さんを応援していた方が私の劇団の時の大口の客という関係で10年前にお会いし、人間東祥三として応援をしたことがある。
その後紹介したほうはまるで手のひらを返したように去り、紹介された私の方が長い付き合いをさせていただいている。人の世のはかなさ薄情さが人事ながら腹立たしい。
9月7日(木)
玉村富夫氏、女性お二人を伴って突然の来訪。
午前中面接。14時より総合放送にて、林家正蔵さんとラジオ番組の収録。
お会いするなり、「いやあ、あの節は」「わたしこそ」の挨拶。
真打披露の宴会で当時の外務大臣・渡辺美智雄さんが、こぶ平さんの母上の海老名香代子さんを持ち上げたいばかりに、離婚したばかりの私を引き合いに出した。私が席にいるとは考えてもいなかったようだ。
このことは渡辺美智雄さんが全面謝罪を私に対してすることで落着したが、こぶ平さんには本当に不快な思いをさせてしまったと申し訳ない思いでいた。
その人との対談というのも縁かしら。
お顔もすっかり変わって落語家の顔になっていた。「よう、九代目」といった掛け声が似合ってきている。「眠っている一族がみんな応援にきているのよ」といったら、首をかしげてうーんとうなっていらしゃた。
夜「脚もみ」森の治療院に。
それからあすなろへ全身の治療。朝まで今一度、佐藤愛子さんの「血脈」上・中までを読み返す。気がついたら朝の6時だった。
9月8日(金)晴れ
11時ダイヤモンド社・富田部長と、打ち合わせ。
出版の話。あいだみつおさんとのドッキングの企画。
夕刻、諏訪さん来訪、事務局の打ち合わせをする。
「わらべ歌伝承教室」の日、スタジオからなんとも上手になった小野寺さんの篠笛の音が聞こえてくる。今日は「唄人会」。久々ながら、私は欠席、有川さんと会食。
夜藤村志保さんと長電話、もう二回も「子守唄百選」を聴いて下さったそうだ。
大河ドラマの収録が始まるということでお忙しそう。志保さんはいつも私を励ましてくれる。
9月9日(土)晴れ
14時から台東区の「子守唄講習会」台東区浅草橋出張所にて開催。今日はテレビの収録が入る。かわいい赤ちゃんを連れたお母さんがずいぶん来てくださった。
一緒に幼子と唄い踊ることになったが、これは楽しかった。
赤ちゃんが泣き出したので、参加のみんなで「七つの子」を静かに歌ってあげると泣き止むというシーンがあって、わきあいあいの中での教室だった。
終わって、12チャンネルのインタビュー。釈行智の子守唄の採譜したとされる銀杏ヶ岡八幡宮に行く。やぶ蚊の攻撃とヘリの騒音が邪魔をして録画は取れず結局は事務所での収録となった。久しぶりの縞々模様のやぶ蚊の攻撃は痒いけれど懐かしい。脚のあちらこちらが赤くなり,子供のころの脚になった。
訪ねてきた孫の脚も蚊に刺された後が盛大にあって、みんなでキンカンのまわし塗り。温泉療法などと理由をつけて、みんなで浅草の「まつり湯」まで繰り出した。12時、帰宅。
夜、佐藤愛子著「血脈」の下を読みきる。今月末、佐藤四郎さんの所に会いに行くので参考になった。しかし、壮絶な一族だとしみじみ感じる。長い一族の中に自分の血と同じものが入っているのは歳とともに感じる。それが鮮明に出てくるのも年とともに実感する。いやだいやだ、というけれど、思い切って生きている人というのも生命から考えれば羨ましい、たとえそれが端からみていかにおかしくとも。