8月7日(月)晴れ
子守唄は国民運動になり得るか。
この時代だからこそなって欲しい、なり得る。
そうおっしゃってくださる方がいかに多いことか。
夕方、大谷さんの事務所まで、打ち合わせに出かける。
8月8日(火)晴れ
斉藤さん来訪
8月9日(水)晴れ
15時 内閣府へ山谷えり子さんを訪問
8月10日(木)晴れ
「日本子守唄百選」出来上がってくる
本当になんと多くの方にお力をお借りしたことか、こうしてまとまってみると、とても新鮮に感じる曲がある。ほんの一部に過ぎないがこうした子守唄が名も無い市井の人によって歌い継がれてきたということに改めて感動する。
しかし、その採譜をした努力を改めて考える。法的権限が無いことが残念、しかし、知的財産としてはこれからの課題。
夜、有川さんと。「唄いつぐ」も早くも6ヶ月が過ぎた。これからが正念場、さまざまに打ち合わせをする。セルジオ越後さんに原稿のお願いをしているのだが。今の所、あまり断られたと言うことが無いのがなんと言う幸運。というより誰にも親の姿が投影されているせいではないだろうか。
8月11日(金)晴れ
明日から夏休み、秋のイベントのチラシを作るのに大わらわ。
全部が一段落したのは夜。9時半車にて岩手に出発。
8月12日〜8月16日まで
夏休み
墓参りの後は読書と睡眠とビデオ、佃煮つくりの毎日。透き通った風と濃い緑の中での休暇。命の洗濯、ここ数年はなんだか過去の全ての思い出が遠のいていく感じがする。
8月18日(金) 晴れ
夏の暑さの中、紀尾井町の民放連まで。
今年度の「民放教養部門番組審査」全国から選びぬかれた7作品の最終審査。
村木良彦さん、脚本家の石井彰さん、翻訳家の大森望讃、葉青さんの皆様と審査。全国から選び抜かれてきた作品はいずれも素晴らしいものばかり。まだ、公的な発表が無いのでここでは作品名を出せないが、マア、推薦したものが入賞してよかった。
終わった後、民放連の三好さんと、立教大学の成田康昭教授、江戸川大学の境真理子教授、角川の三好ひとみさんと会食。
8月19日(土)晴れ
10時日華女性交流会のきょうさんと楊さんがやってくる。
3年目に入ったこの集まりをこれからどうしていったらいいかという相談。
拠点を作ること、実際の活動をすることなどを話す。
午後、市川まで母に会いに行く。
あっという間の歳のとり方、と愕然とするものの、考えてみれば90歳を過ぎたのだから当たり前と言えば当たり前。
主治医だった島田重弥先生が入院していると聞いて姉と二人で市川病院まで車を走らせた。緑内障、ペースメーカー、脳溢血という中で横たわっている先生はもともとが医者であるので会話にごまかしが利かない。
夜中に帰宅。虫が鳴いて草の匂いのする市川、ふと、昔の家が思い出される。
8月20日(日)はれ
多摩境まで諏訪美術館を訪ねる。
愚考庵と名付けられた諏訪さんの陶器の収集を拝見、少し精神的な油を頂いた感じ。
映画監督としての諏訪さん、諏訪城のお殿様としての諏訪さん、子供のように無邪気な諏訪さん、完全主義の諏訪さん、塵一つない部屋の静寂を破ってわーわー歓談、飲むわ笑うわ、というあきれた客と化して夏の一日を送った。
帰り、八幡山の孫の所によって帰還、最終電車の中で風景のように座っている自分を発見。サテ、今日はなんという一日だったことか。
8月21日(月)はれ
朝からホースで金魚の水を取り替える。
休みの間の手紙の整理、暑中見舞いの返事など書く。
「日本子守唄百選」は順調なよう、売れ行きが伸びると本当にいい。
夕刻本図、正木さん来訪、子守唄の新しいアレンジなどの話をする。
そのまま私の家で一献、結局皆でごろ寝。
8月22日(火)晴れ
人智の及ばないということを感じたり、ありえないということが起きたとき信じるかどうかなどは個人差によるだろうが、私の場合は結構簡単に信じて疑わないことにしている。
何しろ、往復に胴体着陸と不時着を経験したという事態の時、生きているのではなく生かされていると言うのが本当かも知れないと実感してからわが身に起こることの不思議な現象は、ありのままに受け入れようと決めた。
環境音楽の片岡慎介さんが来訪。片岡さんが撮ったお月様の写真は、どう見ても観音様と子供を負ぶった光の映像。
「信じますか・」
「無論」
何をというより、この現象を受け入れる。お月様はお母さんとい片岡さん。お月様を春夏秋冬の中で子守唄にしたいと計画中。
先週は清水さんとおっしゃる霊能者の方が突然訪ねてきてくださった。
無論ご商売など抜き。これまた多くの偶然と摩訶不思議な現象がおきている。
夕刻石橋さん、名古屋から上京して要らした加藤さんと来訪、子守唄協会の運動を全国に広げたいという計画を持ってきてくださった。
「日本がおかしくなる」と言う実感があるという。理事会を通して10月ごろにこの計画はスタートしたいと考えている。三人で夕食。
今日、原 荘介さんのお母様が亡くなった。
8月23日〔水〕晴れ
諏訪さん、有川氏と痛飲ただし、体の炎症のため今日は私は控える。
それぞれに人が抱えている問題は大きいというのがよくわかる。
思い切って生きるということはどういうことか、深く自分に問い掛けてみるとたいていの人には煩悶が残るだけということだろうか。結構深い話となってしまった。
山折哲雄さんより贈呈いただいた「歌」の精神史を読む。言葉の喪失と子守唄、個人の精神史の始まりに子守唄を置き、最後に子守唄に対しての山折さんの家族史があとがきに記されている。目のさめるような本を頂いた。
8月24日〔木〕晴れ雷雨
孫が岩手、島根、京都と旅して戻ってくる。
それぞれさまざまに過去にかかわった親類となった人たちのふるさとへの旅立った。岩手は母親のボーイフレンドの実家,と私の先夫井上ひさしさんの母親の墓参りと親類を訪ねる旅、島根は離婚した父親の実家、京都は父親との親子旅、まあ、混乱しそうな人間関係の中での夏休みを追えて帰ってきた。少し変わったように思う。一生懸命噛み砕いて整理して報告しようとしているようだった。しかし、大人はどうあれ、子供の世界を広げようとする周囲に恵まれたことはすばらしいと思う。
突然大阪人間科学大学の雲井弘幸先生が来訪。子守唄の話をした。うれしい訪問だった。
8月25日〔金〕晴れ
熊本まで。
熊本空港は雷雨。
6時半「子守唄」を原 荘介さんと二人で。
童謡の大場照子さんが飛んできてくださった。大変な激励を受けて原さんと二人大喜び。
事故でお子さんを無くしたお母さんが楽屋にきてくださった。
「もっとだきしめてあげればよかった」と涙。この感想に思わず彼女を抱きしめてしまった。
8月26日(土)晴れ
午前中、熊本菊陽町図書館へ。ここは少女雑誌の特別室がある。
この資料の保存者である村崎修三さんが飛んできてくださり,多くの資料を見せていただいた。「ねんねんころころ浜の石」という子守唄が実は伝承ではなく少女雑誌の子守唄の懸賞に入った作品だというので調べたいという原さんの提案で訪ねたのだが「有った・・・」
とは言うもののこのあたりはどれが正確か分からないでもない。
しかし資料を見て感動、というのはこの子守唄の募集を子供にしていることである。
10代の子供たちが実はすばらしい想像力を持っているということだ。興奮して資料をあさった。
「子守唄」・・・・この大変な仕事に対しての理解がどれほどの人に伝わっているのだろうといつも不安だが、こんな昔から子守唄の運動があったというのは心強い。夕刻帰京。
8月27日(日)晴れ
今日は上野駅「駅コン」ふるさとの唄をお届けする。満員の人だかり。喧騒の上野駅ではて足を止めていただけるのかと不安だったがなんとまあ、多くの方が一緒に一緒に声を合わせてくださるのにびっくり。
やはりDNAの中に入っている唄なのだ。
しかし、熊本と続いたせいかぼんやり。夜事務所にて打ち上げ。