5月29日(月)晴れ
昼、桜子、李恵、唄の稽古。子どもの覚えの早さに驚く。
今日は父の月命日、母の所に行く。
父の死からはや半年が経つ、ほっとしたのと寂しいのとが今になって噴出してきた感じ、母の愚痴も多くなってきた。
母の愚痴は最近の凄惨な事件にむけられていて、「生きるのがいやになった」というのが定番。確かにこう毎日親子間の殺人が続くと人間の絆の崩壊が始まっているようで怖い。
夜10時半、壱岐から平山宏美さんがやってきて下さった。夜中まで話す。
5月30日(火)晴れ
9時自民党会館へ。6月15日の子守唄の会の打ち合わせ。
森喜朗先生はじめ山東昭子、小渕優子、橋本聖子、中川雅治、馬場理、崎大志郎、諸氏の参列を頂いて、短い時間の中での打ち合わせ。
12時、前官房副長官の古川貞ニ郎氏を小林美智子先生と一緒に平河町の事務所にお訪ねする。昼食をご馳走になりながら、子守唄の話に華を咲かせた。気持ちのいい午後で、何とワインを二本もあけていた。
古川さんは今は母子愛育会の理事長さんでいらっしゃる。温和で楽しい先生。
エレベーターの前では佐賀の山下徳郎先生にばったり。衆議院、明大理事長を経て、今でもお若く健在「いやあ、西館さんには帽子が良く似合うよ、帽子がいい帽子がいい」。
3時、事務所にて今日は平山さんが壱岐の子守唄を実現したいという話と壱岐のご馳走をして下さるというので、なんとなく集まって歓談しながらおいしい魚にぱくついた。
結局お酒が入って最後まで残っていた、有川さん、原荘介さん、斎藤さん、本図さん、尾身さんなどが下の銭湯に出かけていった。
途中、ご機嫌の諏訪淳さんが到着。なんだか全員が子どものまま、こんな日があってもいい。私は平山さんと浅草の「まつり湯」まで出かけてサウナで汗を流した。
原さん、我が家に泊まる。
松永伍一先生の話をする。詩人を大切にしない国なんて最低だよね、で意見が一致。
5月31日(水)晴れ
自民党本部に打ち合わせ
エイデル研究所原稿書き
18時東祥三さんの憲政研究会、錦糸町の東武ホテルへ。
渡辺昇三さんの講演。戦後、正しい日本の歴史を学んでこなかったのを正しい歴史観にかえたいという話は面白かった。トップバッターのご挨拶が私というので、東さんのことを話す。
6月1日(木)晴れ
衣替え。暑い。
18時「ふるさと財団」の皆様と。
柴田美保子さん、壱岐の平山宏美さんと一緒。
なんだか最近はコンピューターに向かっていることが多くなった。
皮膚感覚がなくなっているような気がする。街を歩いていても、電車に乗っていてもなんか変。私も変。メールを打っている自分が嫌になる。やっぱり人は生身がいい。
6月2日(金)晴れ
朝からエイデル研究所の原稿直し。昨日の原稿メールの打ち間違いでペケ。
14時、伝承教室。笛や太鼓が聞こえてくる事務所は素敵。
そういえば今朝、めだかの卵を発見。器をうつしたものの育つかしら心配。
「子守唄百選」は本当に大仕事だった。
本日、原さんの原稿の中での「島原の子守唄」に関して大いに考えさせられた。
事実人から人へと伝わっていく子守唄に著作があるのは本当に疑問である。
しかし、協会をしてみるとむしろその採譜をしている人の努力や苦労がどんなに大変か、又、どんなに意思がいるものか、よくわかる。
柳田國男ではないが歴史に関しての畏敬が無くては絶対に出来ない仕事だと痛感する。
子守唄というテーマの仕事は儲けとはまったく無縁で、時にその理解の無さに吠えたい気もするが、じゃあ、やらなければいいじゃない、といってしまっていいのか、落ち込むことが多い。
金に走って、それしか考えない事業家や実業家から見れば阿呆くさい作業なのだもの。
夕刻から岩手に車を走らせる。母さんが「危ない」といっていたがなぜこんな小さな街で凄惨な事件が起きるのだろう。人のつながりが逆に深すぎるせいだろうか。しかし、こどもが宝とは感じないで親となる女性とは何者か。いつになっても弱い子供の犠牲はもう沢山だ。