5月15日(月)曇
12時、濱田雅行、平田静子、石橋正諸氏と会食。協会の運営を皆さん真剣に心配してくださっている。しかし、こんな世の中だからこそ頑張りたい。
この夏発売予定の「子守唄100選」CDの予約の第1号は湯川れい子さん。こんな光栄があるかしら。今日から産経の「唄いつぐ」は赤枝恒雄先生。「いいねえ」とご近所の椎野伝さんがわざわざ切り抜きを持ってきてくださった。
素晴らしい原稿が順次にはいって来るので嬉しい悲鳴。なぜ子守唄が今必要なのかをさまざまな角度から書いていただいているが、皆様の人生がバックに出ていて、こんな読み応えのあるものはないのではないと思う。
5月16日(火)曇
山谷えり子さんより6月15日に自民党会館で子守唄の会をすることに決定。森前総理がその実行委員長をお引き受けくださったという嬉しいご連絡を頂いた。
毎日の子どもの犠牲者を思うたび、今こそ国を挙げての「心復活」を考えるべきだと思ういいタイミングだと感じている。
午後、諏訪さんがお見えになって打ち合わせ。
夕刻、「二井さんの会」に出席。子守唄の事を話す。二井さんは「暮らしの手帖」の副編集長、多趣味な方だ。有川さんをお誘いし、一緒に帰宅して赤提灯「仲よし」にて一杯。話は唄いつぐのことに集中。
5月17日(水)曇
13時、トニー田中さんが、インタビューにおいでになる。
トニーさんとはある時期いっしょにコメンティターをしていたことがあり、ほぼ10年くらい会っていなかった。お互い孫の話などする年となり、感慨無量。
八幡神宮で写真をとっていたら、ちょうど渡辺宮司さんとお会いした。
真鍋先生が実はこの神社から子守唄が発祥したのだとおっしゃっていましたと言うととても喜んでいらして、しっかり調べてみますとおっしゃった。
わたしとて、灯台もと暗し、こんな近所に本家本元があったとは思わなかった。
木の葉稲荷の日とか、江戸駄菓子を頂く。
夜、元小学館の本図さん来訪、音楽家の尾身行雄さん来訪。飲んだ飲んだ。
5月18日(木)晴れ
11時より平河町のスタジオにて、子守唄百選の藤村志保さんのナレーション撮り録音。
子守唄への理解は本当に頭が下がる、むろんその応援もどんなに力を頂いていることか。
100曲を全部して下さった。
夜、母のところへキャベツとアスパラをとどける。
5月19日(金)曇
11時より奄美から池水ゆかりさん、伯母さんとお子さんと一緒に子守唄を唄いに来てくださった。その後会員の皆さんと一緒に懇談会。茅ヶ崎から松永忠夫さんも参加してくださってさまざまに懇談。終了後、原荘介さんと打ち合わせ。
夜、できたての子守唄百選のテープを聴く。
5月20日(土)晴れのち大雨
10時から孫の桜子と李恵のわらべ歌の収録。
かつて二人に“子守唄ブラザーズ”として活躍してもらおうかと計画したことがあったがこれも孫馬鹿、彼女達は彼女達なりにその活動を活発に主張できる年となっている。今日は昔の習ったわらべ歌をうたってもらった。早くに終わったので、娘と孫とで久しぶりの銀ブラを楽しんだ。皆は「ダビンチコード」を観に行くというので私はその足で早稲田へ藤原書店の勉強会の日。ブック・オフで持ちきれないほどの本を買う。
勉強会で今日は懇親会に出ず、国立劇場へ。前進座の通し「謎帯一寸徳兵衛」を観て,
東松山の柴崎さんにご挨拶して帰宅。今日も子守唄百選のCDの試作品を聴く。
5月21日(日)晴れ
11時、産経の有川さんと母上、農水産省の小松さんと連れ立って三社祭りへ。
大変な人ごみを縫って歩く。しかし、昔の喧騒は無く、蒸れるほどの熱気は無い。一面おとなしい感じで、こんなだったかなと首を傾げてしまう。
天に届くほどの歓声や掛け声、街の隅々までも飛び交う弾んだ声、子どもの泣声など、街が生きていた、沸いていたという実感が祭りにもなくなっているのかも知れない。
面白かったのは、くりからもんもんのお兄ちゃん。一人や二人ではない、束になってのしのっしと街を歩くのだが、祭りの世話役からハンドマイクで「はい、刺青の人かついで」と号令されて、みこしの輪に入るという姿が、なんともいじらしかった。やくざも形無しといった風情だが、基本的にはやくざは神輿を被くのはご法度、それを承知でこれ見よがしに裸の刺青が光っている。浅草の中道好一さん、女優の磯村みどりさんと合流して「小柳」で会食。夕暮れの迫る頃には有川さんは高齢のお母さんを思って一足先に帰られ、私は小松さんと「十兵衛」にて一献傾けで、今年の三社祭りの余韻を楽しんだ。