【文化欄】
ヒトには子守唄が必要だ
笛や太鼓にさそわれて 山の祭に来てみたが・・・
演壇で脚本家の市川森一さん(64)が、やおら歌いだした。北原白秋作詞、中山晋平作曲「里ごころ」。大正時代の童謡である。市川さんにとって、この歌は長年の謎だった。いつ、どこで覚えたのか記憶にないが、ときどき心に浮かび、浮かべば口ずさんでいる。なぜだろう、と不思議でならなかった。
謎が解けたのは、最近。長崎県生まれの市川さんは10歳で母を結核で亡くしている。小学校低学年のころの担任教師が80を過ぎて健在で、会う機会があった。家庭訪問の時に「森一さんのお母さんが言ったこと」を覚えていた。「私の愛唱歌を息子も歌うようになった」。うれしそうな母だったという。
<歌の力>が、母子の絆の強さを実証した。
16日に都内で開かれたシンポジウム「子守唄よ、甦れ!」NPO法人・日本子守唄協会(西舘好子代表)の主催。同じタイトルの特集を組んだ藤原書店の「別冊『環』⑩」発刊を記念し、主な寄稿者が講演と討論を行った。
本の巻頭鼎談で、市川さんと西舘さんに子守唄の本質を語った詩人・松永伍一さん(75)は病気で出席できなかったが、親が子を虐げ子が親を殺す時代に「なぜ子守唄が大切か」を深く考えさせる催しとなった。
藤村志保、小林登、羽仁協子、中川志郎。女優も東大名誉教授(小児科)も音楽教育家も元上野動物園長も、ヒトが胎内にいる時から幼少期にかけて子守唄を必要とする訳を、それぞれの言葉で語った。
多様な世界を内包する子守唄が「甦る」前には、幾つもの障壁がある。物の氾濫、野生の消失、少子化。子守唄の消滅は避けられないという悲観的な意見も分かるし、しかし諦めてはいけないとも思う。
この日、講演の合間に各地の子守唄を披露した歌手・川口京子さんは、最後に童謡「里ごころ」を歌った。準備はしていなかったが、聴衆の希望には応えるのがプロだ。壇上の市川さんは終始ニコニコしていたが、その笑顔は泣いているようにも見えた。「里ごころ」が彼の子守唄なのだと思った。
(永井一顕記者)
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