「こんにち話」
子守唄を見直す 人が生きていく基盤
五年ほど前から子どもが虐待されたり、犯罪に巻き込まれるといった事件が増え始めました。その被害者がみんな私の孫ぐらいの年齢で、やりきれなかった。
私には四人の孫がいて、悲しいときや苦しいとき随分励ましてくれた。孫たちと同じくらいの子どものことは、人ごとと思えなかった。救えない大人として恥ずかしかった。子どもへの贖罪(しょくざい)の仕事のつもりで、専門家でもないのに、「日本子守唄協会」を立ち上げたのです。
<子守歌は人間の歴史とともにあった。だが長く文字化されなかった>
童謡や唱歌、あるいはわらべ歌や民謡とごっちゃになって、いまだに定義があいまい。そのため誤解が生まれ、子守娘の悲しい歌と思っている人もいる。そうではなくて、子どもの方は無意識に聞く歌であり、本当は母親や大人の歌なんです。
歌詞はどんなでもいいのですが、母親の独り言であっても、生活のこまごましとしたこと、夫への愚痴などでも、即興で、子どもの目を見詰めて歌ってあげる。歌っているうちに、自分の母から、祖母からといった命の伝承に思いがいく。そのエキスを母となる人に、子どもに伝えたい。
母親、故郷、家族につながる、こんな大切な歌が、歴史的には、受難の歌であったのです。明治の文明開化期には、「遅れた土着性」と批判されたり、戦時には、平和や幸せを願う母の祈りの歌として、抑圧されたりしました。それでも歌い継がれてきたのは、子守歌に力があったからではないでしょうか。
医学や教育の面でも子守歌の持つ重要性が立証されてきましたが、専門家のご協力で、全国で採集した子守歌は五千ほどあるでしょうか。沖縄だけでも五百曲はあるのでは。探せばまだまだ出てくるはずです。
一般の人が子守歌を歌うようになったのは江戸中期のころです。文献に残る日本最古の子守歌は、鎌倉時代末に記された「聖徳太子伝」に載っています。「寝入れ寝入れ小法師(こぼうし)縁の縁の下に」と歌われたそうです。
<子どもの心を育てる子守歌の重要性を今後どう訴えていくのか>
子守歌の記憶は、その子の一生を左右するものだとまず母親に知ってもらいたい。私たちの協会では既に子守歌の講演会やイベントを地元の新聞社や行政と組み、二百回ほど実施してきました。
子守歌を聞くと泣く人が必ずいます。つらい内容の子守歌ほど歌詞がきれいで、心を打つようです。今だから見直し、取り上げたい歌なのです。
七月十六日に東京・表参道の青山ダイヤモンドホールでシンポジウム「子守唄よ、甦(よみがえ)れ」を催します。
パネリストに、子守歌の研究家で「命の讃歌(ほめうた)」だと唱える詩人松永伍一さん、愛情のすり込みの大切さは動物も人間も同じとする元上野動物園長の中川志郎さん、脚本家の市川森一さん、女優の藤村志保さんらを迎える予定です。
お米やお茶と同じく、子守歌は、人が生きていく基盤になっていることを、もっともっと知っていただけるよう、大きな運動にしたい。
諸外国と子守歌の情報交換が進んでいます。どの国も採集と保存に動きだしているようです。日本では今、市町村合併が進み、地域の歌が消えていくのでは、と気掛かりです。
(聞き手は共同通信編集委員・朝田富次)