東日本大震災復興支援活動
東日本大震災と復興への思いを込めて
全日本ハーモニカ連盟理事長 斎藤寿孝
2611年3月11日の東日本人震災は、日本列島に未曾有とも言うべき被害をもたらしました。
私はこの日、秋田べ向かう東北新幹線の中で被災、福島県境から栃木県へ避難、塩谷町の中学校のアリニナで一夜を過ごしました。僅か1日だけの避難所生活体験でしたが、辛いものでした。こうした環境に何ヶ月も置かれた方々は心身共にさぞ大変だったと思います。
翌月の4月8日から9日にかけて私は、日本子守唄協会の“やすらぎの歌とどけ隊”のメンバーとして被災地を訪ねました。大きな余震を受けながらも真夜中に車で出発、高速道路は凸凹で車は大きくバウンドしながらも宮城県の気仙沼に到着。避難所の「浄念寺」で歌手や女優さんなどと早速慰問演奏ということになりましたが、停電でマイクも使えず困りました。しかし、ハーモニカは電気は不要なので平気でした。しかも、小型軽量なので被災者の皆さんのいらっしゃるすぐ傍まで行って吹くことができます。皆さん、知っている曲があると大合唱、瞬間、疲れや苦しみを忘れさせてくれたのでした。
気仙沼から次に岩手県の陸前高田へ向かいました。ここは被害規模が大きくて、ただただ茫然とするのみでした。「こういう風景は、どこかで見たことがある…」と思いました。戦後、疎開先から帰って見た東京の戦災の後の街の風景に重なって見えたのです。
それから半年経らた9月11日、私は昔、学童疎開でお世話になった栃木県の旧湯津上村のお寺「光丸山法輪寺」で“ひとリコンサート”をやりました。プログラムは“昭和歌謡史”、なにかとお世話になった栃木県ヘの恩返しのつもりでした。このイベントは読売新聞や地元の下野新聞にも予告が掲載されたので、予定を3倍も上回る盛況でした。その模様はNHK総合テレビの「首都圏ネットワーク」でも紹介され話題となりました。
日本の戦後の戦災からの復興は、世界中がビックリするほどのパワーとスピードで行われました。今回の大震災や原発災善でも、落ち着いて対処しています。大丈夫です。
日本人の知恵と努力と根気と善意を信じ、各自が自分のできる範囲のことをすれば、
それが復興を支える力となり、戦災以前の、いやそれ以上の復興を実現するでしょう。