7月3日、日本子守唄協会理事の藤村志保さんはお一人で石巻に被災者慰問にお出かけになりました。本当にありがとうございました。
知り合いのお寺さんの安否をずっと心配していらっしゃった志保さんは、住職さんが腰を痛めて仙台に避難していらっしゃることを知りほっとはしたものの、以前社会福祉協議会の講演に呼ばれたご縁もあり石巻に何か出来ないだろうか、とずっと思っていらしたのです。
大女優の決断と実行に日本子守唄協会は何もお手手伝い出来ませんでしたが、東京の荒川区の老人ホームの皆様が手作りしてくださったお扇子が,急に暑くなった今お役にたつのではないか、と思い、マスクと一緒に持参していただきました。
それ以前に6月7日ご一緒に南相馬に参りましたが、「今度はいかがでしたか?」と伺いましたら、
電話の声は[好子さん、たいへん、まだまだ、何もかたづいていないのよ、石巻は並大抵ではないわ]と哀しい声が返ってきました。街中の瓦礫がまだまだ片付いていないこと、先のメドも立たないだろうと。
避難所は一人一帖くらいの場所が与えられているものの、周りを段ボールで覆われて寝起きしているのに、我慢の限界は通り過ぎているのではと、心配より愕然と心を寒くしたそうです。志保さんのお知り合いのお寺は本堂のご本尊様は無事できちんと祀られていたそうです。しかし、庫裏は浸水で使い物にならず、まだまだお寺としての機能は果たせそうもありません。そこに毎日発見された何体かの遺体が運び込まれ、荼毘に付して祀られ、そこで初めて遺族の方が仏に包まれて成仏されたとホッとされるのだと。死を哀しいけれど納得せざるをえないのでしょう。
「南無阿弥陀仏」のお経があの世とこの世のかけはしとなっているのかもしれません。
「仏のありがたさが身に浸みる感じ」志保さんはそうおっしゃいましたが、それは私も被災地で同じに感じたことでした。出来ればこの惨状を国会議員の皆様に視て欲しい、自治体の地からではどうにもならないと実感したとおっしゃつていました。
「好子さん、いまこそ歌よ、何か心が訴えようとしている。それをみんなで歌い身体を使い、発散と元気を自力の心身の中からしようとしているのがわかる」
志保さんその通りだと私も思います。
「つららのぼうや」の朗読の後、浴衣で手踊りを披露したという志保さんの実感は本当にどんなにつらくても、歌に力があり、声を限りに自分の力を呼び起こす為の役に立ちたいと慈悲の心なのかも知れません。
来月は又、私は志保さんと湯川れい子さんと東北に慰問に行きます。必ず、歌をつれて。
日本子守唄協会理事長 西舘好子