平成31年
ララバイ通信新春号を
お届けさせていただきます。
日本子守唄協会 事務局
あけましておめでとうございます。
今年の五月には元号が変わります。昭和の子で生まれた私は「昭和」「平成」「つぎの?」の三代を生きることになります。とても長い年月を生きてしまったような気分がしていますが、別に私自身の何かが変わるわけではないのです。そう思いつつ、何かが変わることを期待している自分がいます。それはおそらく肥大してきた「過ぎた時代」への回顧と懐かしさからくる「責任感」のような気もします。
私にも歴史があった、それはかけがえのない生きた証拠なので、ふっと消してしまっていいのかなあ、小さなことでもいい、どこかにそっと残せないだろうか、などと思います。..
(続きは下記の『ららばい通信 2019年 新春号』をご覧ください)
家族がいた時間
日本子守唄協会 会長 西舘好子
12月になって急に寒くなった。冬に半袖でいられた11月から急転直下、身に染みる寒さだ。絶対に温暖化のせいだと息まいて、本来なら薬研堀のべったら市もお酉様も、木枯らしついて出かけたものだと、異常気象に腹立たしい気も手伝って自然現象に文句を言っていたが、いざ寒くなると「やっぱり寒さは嫌だ」となるのだから、我ながら恥ずかしい。
子どものころ冬の到来はとても楽しいものだった。家が下町のせいか、とりわけわが家は祖母、母、叔母と女系家族だったせいで、迎える新年にそれぞれの思いで立ち働く「勢い」にあふれていた。寒風が吹くと手をかじかませて沢庵や山東菜漬けが祖母によってはじめられる。..
(続きは下記の『ららばい通信 2019年 新春号』をご覧ください)